■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書19章16~21節

★すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
彼は「どの戒めですか」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

■O:今日のコラム
この人は「永遠のいのちを得るには?」とイエス様に聞きました。しかしイエス様は彼に「もし、完全になりたいなら」と答えられました。

完全になるとは、私たちが成熟することです。私たちの父が完全であるように完全になりなさい、と言われる主は、私たちが成長し大人になることを望んでおられます。それは私たちがいのちを得、それだけでなく更にそれを豊かに持つことです。

私たちが完全さ、成熟、大人になることに預かるためには、自分のいのちと呼べるような何かを犠牲にして、父の御心に従うことが求められます。イエス様が御父にご自身のいのちを委ねたようにです。

いのちとは、生命のことだけとは限りません。私たちが大切に思っている物と言うことができます。この青年にとってはそれは経済でした。彼はこの経済によって何でも思い通りになり、名声やプライドを保ってたのではないでしょうか?彼にとって経済はいのちだったのです。

世にあっていのちも経済も大切なものです。しかし、世のいのちは一時的なものです。そして私たちが御心の故にそのいのちを差し出すなら、私たちはまことのいのちを得るのです。それは永遠のいのちです。私たちはまことのいのちを豊かに得るように召されています。

私たちが何かを委ねるように招かれているなら、喜んで手放し、主に委ねていきましょう。時間、経済、プラン、感情、こだわりetc…私たちが自分の大切にしている何かを手放すことを繰り返す先に、自分のいのちさえも委ねて、主を愛する最大の愛が成熟して行きます。実際、友のためにいのちを捨てる程の最大の愛を、私たちの内におられる方は持っておられます。

信仰において成長とは、より自分の頑張りや気合いが増していくというより(それも良いですが)、より多くのものを主に委ねられるようになっていくことです。

主が「委ねよ」と言われるのに委ねないなら、私たちは自分がその事に関しての責任を持たなければなりません。しかし主に委ねるなら主が責任をもって守ってくださるのです。こんな自由があるでしょうか?こんな平安が世の中にあるでしょうか?

■A:考えてみよう
主に差し出すように語られていることはありますか?主に委ねることにはいのちがあり、解放があることを信じ喜んで差し出しましょう。

■P:祈り
霊とまことによる礼拝を捧げる礼拝者を求めておられる父よ。あなたの求められるものを喜んで捧げ、今よりも御側で仕える礼拝者としてくださることを感謝いたします。私はあなたのものです。既にイエス様の血によって買い取られたものであることを告白します。私の願うようにではなく、あなたの御心のままになさってください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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