■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書15章2節

★人の子よ。ぶどうの木は、森の木立ちの間にあって、その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。

■O:今日のコラム
みなさんは、ぶどうの木を実際に見たことがあるでしょうか?私たちが思い描く木と、ぶどうの木は少し形が違っています。ぶどうの木は一本の太い幹が地面から約1メートルくらいに伸び、そこから水平に枝がツルのように伸び、その枝にぶどうの木が実ります。地面から生え出る幹と言っても、一般の木のように力強いものではなく、ツルを束ねたような幹です。

このぶどうの木の特徴を理解したなら、今日のみことばの意味も少し意味がわかってくるのではないかと思います。エゼキエル書15章では、ぶどうの木は、家具などの材料としては何の利用価値もないと言っています。そしてついには、たきぎとして火の中に入れられてしまうと書かれています。

ここでぶどうの木はイスラエルの民にたとえられています。では、なぜイスラエルの民がそのように扱われなければならないのでしょうか。15章の最後、8節にはこのように書かれています。

「彼らがわたしに不信に不信を重ねたので、わたしはこの地を荒れ果てさせる。-神である主の御告げ-」

神に対する不信を重ねた結果、このような裁きが下ると警告されています。同じような事をイエス様が言われていたのを思い出すことができるでしょうか?

「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」(ヨハネ15:2)

ここで注目したいのは、イエス様が「わたしの枝」と言われていることです。つまり、このたとえは未信者に向けて語られているものではなく、主に信じる者に向けて語られています。ですから、実を結ばないものも実を結ぶものも、全ては主の御手の守りの中にあります。その事を踏まえて、それぞれの枝について見てみましょう。

(1)実を結ばないもの
この結果は、「父がそれを取り除く」と書かれています。これだけ聞くと、少し恐ろしく、裁きを連想してしまいますが、言語本来の意味はそういうものではありません。ここで「取り除く」と訳されている言葉は、本来は「持ち上げる」という言葉です。

ある人がぶどう農家に行った時、まさにこの事を教えてもらったそうです。生えたばかりの枝は、そのままにしておくと垂れ下がってしまい、地面に沿って伸びていくそうです。そして、それをそのままにしておくなら、実を結ぶことはできないそうです。なぜなら、枝が地面をはっているなら、葉が土にまみれてしまいます。雨が降ると泥だらけになり、カビが生え、病気にかかってしまいます。

そうなったら枝は切り捨てなければならないのでしょうか。そんなことはありません。せっかく伸びた枝を切り捨てるのはもったいないからです。農夫はバケツに水を汲み、畑中を歩き回り、そのような枝を探し回ります。見つけたなら、その枝を持ち上げてよく洗うのだそうです。そして、枝を棚に結びつけてやると、枝は元気よく成長していくのです。

私たちは実を結べない=天の父に捨てられると考えるかもしれませんが、父はそのような者を温かい御手で救ってくださり、洗ってくださり、元の正しいところに戻してくださいます。なんと優しいお方なのでしょうか!

(2)実を結ぶもの
実を結んでいるものには、刈り込みがあります。持っている物を手放すということは難しいことであり、時には痛みを覚えることがあります。神様に「なぜですか!?」と訴えたくなることもあります。しかし、そこには明確な目的があります。それは「より多くの実を結ぶため」なのです。

まことの農夫である天の父に信頼しましょう。様々な物を取られていると感じるのであれば、それはより多くの実を結ぶ前触れであることを覚えましょう。

エゼキエルがイスラエルに語った預言の中で、「火は彼らを焼き尽くす」と語られています。そして、神様がイスラエルから御顔をそむける時、彼らが神が主であることを知ると書かれています。それでもなお、神様に対して不信に不信を重ねるなら、私たちの地(内なる人)は荒れ果てた地となります。いつも良い地であり続けるために、みことばに対して従順になりましょう。

また、ぶどうの木は価値がないように書かれています。しかし、主は一羽の雀さえも神様の御前では忘れられることはありません(ルカ12:6)。むしろ、人々の目には価値の無いものが主の御目には尊いものに写ります(1コリント12:23)。

神様の御前に捨てられているように感じたとしても、何かを取り上げられているように感じたとしても、それは共に私たちがより多くの実を結ぶためのことであることを覚えましょう。

■A:考えてみよう
自分は、御霊の実を結んでいるだろうか。

愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の実を結ぶために、主はあなたを「取り上げ」られるでしょう。また、「刈り込まれる」でしょう。ただ、主に信頼しましょう。

エレミヤ29章11節のみことばを覚えましょう。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。 -主の御告げ- それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

■P:祈り
愛してくださる天のお父さん、あなたは私を見捨てず、見放されないお方であることを感謝します。主を見上げられないときであっても、神様の愛は変わらないことを感謝します。私が実を結ぶことができず、地面に伏しているようなときにも私を抱きかかえ、洗い、元のところに戻してくださる神の愛をありがとうございます。
また、私が多くの実を結び、高ぶりそうになったときにも主は私を刈り込み、より多くの実を結ぶようにしてくださいます。私を造ってくださったまことの農夫である天の父にすべてを委ね、信頼し歩んでいくことができるよう、主を信じる信仰を与えてください。

いつも私を愛してくださるイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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