■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書12章25節
★イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。
■O:今日のコラム
どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれます。神の国も同様です。聖書において同士討ちは、悪に対するさばきなのです。私たちは互いに愛し合うために置かれているのであって戦うためではありません。私たちの中の敵意は既に十字架によって廃棄されたのです。
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(エペソ2:14~16)
敵意の無い、人とのコミュニケーションは、人々を癒していきます。私がそのことを強く体験するのは、幼い子どもたちと会話する時です。彼らは屈託なく私とコミュニケーションを取ってくれます。それは私にとって喜びであり癒しです。
私たちも人々の中に平和を作り出す神の子どもです。また和解の務めが委ねられている神の国の祭司です。私たちの中びある敵意を十字架に委ねて、人々の中に遣わされていきましょう!私たちの戦いは血肉に対するものではないのです。
イエス様は二つのものを一つにする神の奥義です。その十字架によって和解の務めを果たされました!ハレルヤ!そして私たちも自分の十字架を負ってイエス様について行くのです。和解の務めは私たちに委ねられているのです。
■A:考えてみよう
今日、出会う人々に対しての敵意、過去にあったわだかまりを十字架に委ねて、心からの愛をもって接していきましょう。
■P:祈り
主よ。私と接する全ての人にあなたが触れてくださり、癒し、解放してくださいますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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