■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書10章39節

★自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!

皆さんは、この地上でのいのちには限りがあることを意識されていますか?いのち(命)と辞書を引くと、「生物が生きていくためのもとの力となるもの。生命。生きている間。生涯。一生。寿命。最も大切なもの。唯一のよりどころ。そのものの真髄。」など…と出てきます。

つまり、この地上で「いのち」とは、時間、体力、私たちの持つもの全てを意味します。

私たち人間は、地上に生み出された時から全ての人が「死」へと向かっています。ですが、イエス・キリストを心で信じ、口で主と告白した私たちは「永遠のいのち」へと、また、神の御名による義の道へと移されることを感謝します!

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9~10)

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。」(ヨハネ6:47)

「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます」 (詩篇23:3)

私たちの生きている時間を自分のものとして使うのであればそれを失い、与えられている時間を神様のために使うのであれば神様が時間をも与えてくださいます。すなわちそれは、自分の好きなように生きるのであれば実を結ばない、また永遠の報い、永遠の相続へとつながらない歩みをすることになります。

神様のために使うのであれば実を実らせる、永遠の報い、御国の相続へとつながるものになります。また、自分の好き勝手にいのちを使い、歩み続けるのであれば、詩篇23篇3節にあるように、たましいは生き返らず再び死へと向かい、義の道から元の位置へと戻ってしまう可能性もありえるように思います。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることなく、神の怒りがその上にとどまる。 」(ヨハネ3:36)

先日、ある映画を観ました。映画の中の話しではありますが、王の発言は絶対であり、付き人は王に絶対服従であり、王のために自分のいのちを惜しまずに捧げて戦いに行きます。そこには自分の感情がどうとか、言い分がどうのとかは存在せず、ただ王の命令に従い、勝利していく姿が描かれていて信仰生活の歩みと似たものを感じました。

私たちクリスチャンは王の王、主の主、天地万物全てをすべ治めておられる、何よりも高い座に座しておられるお方に仕えているのにもかかわらず、王の口から出た命令(神の口から出た言葉、聖書)に対してあまりにも自分の意見を主張し過ぎてるように思います。本来王に向かってそんなことをするのであればいのちが取られて終わりですが、私たちはそのようにはなっていません。

神様は本当に忍耐強く、哀れみ深いお方です。ですから、私たち、全ての信じる者が、何よりも高い座に座しておられる王の言葉に聞き従わなければなりません。

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(2テモテ4:7~8)

「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:13~14)

私たちは栄冠を目指して走らないといけません。歩くのでもなく、座り込むのでもありません。

マルコ、ルカにも同じ記述がありますが(マルコ8:34,35、ルカ9:23,24)、すべて、今日のみことばの前には「十字架を負いわたしについて来なさい」と記されています。私たちが神様のためにいのちを使うことは、十字架を負うことです。ですが、たとえその道に困難や痛みが伴ったとしてもその歩みを選んでいくとき、私たちの内なる人はイエス様にふさわしい者とされることを感謝します。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。 」(マタイ10:38)

■A:考えてみよう
今一度、私たちは自分の時間や体力、経済やいのちに値する全てを神様のものとすることが出来るように祈り願い求めたいと思います。

一部を残して捧げるのではなく、また、私の何を捧げられるかな?と自分の捧げても良い部分を探すのでもなく、「全てを」神のために用いることが出来るように祈りましょう。そして、義の道、各自が走るべき道を走り、成すべきことを成し、永遠の報い、豊かな実を結んでいけますように。

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」(1テモテ6:12)

■P:祈り
愛する天のお父さん、王の王、主なるお方、あなたに仕えることが出来る偉大な恵みを感謝します。私のこの地上での持てる時間、体力、あらゆる「いのち」に値するものをあなたのために捧げ、出し惜しみしないで使い切ることが出来ますように。
ただひたすら義の道を、走るべき道を前に向かって走り切って、あなたから義の栄冠をもらえることを希望として、豊かな実を実らせていくことが出来ますように願い求めます。

イエス・キリストのお名前によって感謝し、お祈り致します。アーメン。

【 まなくぼ 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー