■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書6章33節

★だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

■O:今日のコラム
マタイ6章25節から34節までの間に、「心配」という言葉が7回出てきます。天の父は私たちがどれほどに心配しやすい性質であるか、また私たちに関わるどんな些細な必要までもご存知のゆえに、今日の箇所が与えられていることを感謝します。

人は日常の細々としたことから衣食住、お金、人間関係、死について等、ありとあらゆることを心配し恐れを抱きます。心配する事柄の8~9割は実際には起こらないと言われていますが、わかってはいても、時に目の前の心配事や将来の不安に心が押しつぶされそうになることがないでしょうか。

「心配」と訳されているギリシャ語「メリムナオー」のもとをたどっていくと、「反対方向に引っ張られる、全体から分けられる、引き裂かれる、注意散漫になる」などの意味を含んでいます。

つまり、私たちが過度に心配すると、目の前の事柄が実際以上に難しく思えてきたり、神様に頼っても解決には至らないんじゃないか等、間違った方向へ私たちの思いが引っ張られてしまいます。また、体力、集中力、思考力等、御心のために注ぐべきエネルギーが散漫になってしまい、本来の成果に至らないということになってしまうのです。

「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」(ルカ21:34)

主を待ち望む聖徒に対して「よく気をつけていなさい」と主が命じておられることとは、世の煩い、思いの中で起こる戦いについてです。終わりの時代に生きる私たちはいつも心を見張り、思い煩いや心配事、恐れに心を支配されるのではなく、弱さや恐れの中にあっても主が強く全き方である信じて信仰に立ち、一歩一歩、喜び・祈り・感謝にあふれる歩みをしたいと願います。

この山上の垂訓から主の御声を受け取りましょう。主が、私たちへ「心配は無用ですよ」と優しく語りかけてくださっています。そして主はどんな問題よりも難題である死を解決された、頼れるお方です。

■A:考えてみよう
以下のみことばを朗読し、主に正直な心で自分の心にある心配事や思い煩い、恐れを打ち明け、感謝をささげましょう。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6~7)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ぺい 】

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