■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書4章4節
★イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
■O:今日のコラム
イエス様は御霊に導かれて荒野へ行き、40日間の断食後に悪魔の試みに会われました。
荒野はヘブル語でミ・ダバール、すなわち御言葉のある場所という意味ですが、この御言葉のある場所を通るという行程は、イスラエルの民が歩んだ行程と一緒です。
「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(申命記8:2)
神様はイスラエルの民を苦しめて、飢えさせて、試みて、心のうちにあるものを明らかにするために荒野へ導いたと言っています。
私たちの心は陰険で直らないと聖書は言っていますが、私たちは自分の心が本当にそうであるということを悟らなければいけません。ですから荒野を通ることは良いことです。主のさばきは受けるべきです。なぜならそれを通していかに自分が救いを必要とする者かを知り、主を求め、御言葉を求めるからです。
では荒野を通して死んだ自分を生かすのは何でしょうか。
「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたに分からせるためであった。」(申命記8:3)
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」(ヨハネ5:25)
主がイスラエルの民にマナを与えられたことは象徴です。そこから学ぶ本質は、主の御口から出る御言葉、すなわちレーマによって人は生きるということです。
主が語られる御言葉こそが私たちを生かします。しかしその声は簡単には聞けません。ですから御言葉にも書いてある通り「死人」になる必要があります。御言葉に混ぜ物を入れず、自分の考えを入れず、聖霊様にあって御言葉を御言葉をもって解く必要があるのです。そしてその御言葉に生きる者を主は求めておられます。
このマナメールを書きながら、荒野で、すなわち御言葉のある場所で、御言葉に向かう幸いな者になりたいと思いました。人の言葉などではなく、主の御言葉を求める者になりたいと心から思わされます。
イエス様が御言葉をもって試みる者による御言葉の試みに打ち勝ったように、私たちも真実な主の御言葉をもって勝利する者へと導かれゆきましょう。
■A:考えてみよう
栄養がある食べ物も調理の仕方次第では栄養が無くなる料理になってしまいます。それと同じように、神様ご自身である御言葉を自分の価値観、言葉の印象、考え方で食べると本来神様が伝えたいことを受け取れなくなってしまいます。御言葉が悪いのではなく、食べる私に問題がないか探っていきましょう。
令和になりましたが、主の御心のままに、以前の時代に祈られてきたことが、成されていきますように!また私たちの命である御言葉の扉が開かれ、栄光の教会が益々完成へと導かれていきますように!
そして、この御言葉の務めに、共に、より励んでいこうではありませんか!
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」(ヨハネ6:27)
■P:祈り
神様、あなたは本当に良いお方です。素晴らしい主の御名をほめたたえます!
主よ、あなたの御声を聞かせてください。そのために私の自我を焼き尽くしてください。あなたの血潮をもってきよめてください。
主の御声を聞く者は生きることを感謝します。そしてその御言葉を生きる、その御言葉に従順する者へとならせてください。あなたの御言葉にこそ力がありますからそれを体験させてください。
今日も命である主の御言葉を求めて、愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 たくみ 】
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