■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書1章17節

★それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

■O:今日のコラム
今日から通読はマタイの福音書、また、エゼキエル書に入っていきます。

マタイの福音書は、言わずとしれた新約聖書最初の書簡になります。この書簡はマタイによって、主にイエス・キリストを信じるユダヤ人に向けて書かれています。(だからといって私たちに無関係ではなく、大いに関係する書簡です)

私たちの持っている聖書の旧約聖書は、何という書簡で終わるか知っていますか?

答えはマラキ書です。しかし、ユダヤの人々が使っている旧約聖書は、私たちのものと内容は同じですが、並び方が違っています。それでは、ユダヤの人々が使っている旧約聖書の最後の書簡は何でしょうか?

答えは第二歴代誌です。第二歴代誌の終わりでは、イスラエルの人々は預言者を笑いものとし、心を閉ざし、主に立ち返りませんでした。その結果、第二回目のバビロンとなります。

第二歴代誌はこのような言葉で終わっています。

「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神、主がその者とともにおられるように。その者は上って行くようにせよ。』」(2歴代誌 36:23)

ここで「上っていく」と書かれていますが、これがマタイの福音書と大きく関わっています。

「それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。」(マタイ1:17)

ここに登場する「アブラハム」「ダビデ」「キリスト」に共通することがあります。それは、三人とも、神様のご計画がなされるエルサレムに上りました。そして、そこで神の御心を行ったのです。(アブラハムが息子イサクを捧げるために上ったモリヤの山はエルサレムだと言われています)

つまり、ユダヤの人々から見ると、第二歴代誌とマタイの福音書がきれいなグラデーションを持ってつながって見えるのです。

もう一つ、ユダヤの人々は「系図」をとても重視します。みなさんも旧約聖書の中で系図と格闘したことがあるでしょう。マタイの福音書も系図から始まりますので、未信者にとっては、とてもハードルの高いものとなるかもしれません。

しかし、これもユダヤの人々から見ると、とても納得できることなのです。それは、旧約聖書の系図の出てくる場面を見るとよくわかります。

聖書を読み進めているとき、突然系図が出てくるときがあります。その多くの目的は、「系図のはじめに書かれている人から、最後に出てくる人の時代へと入れ替わった」という、時代の楔(くさび)のような役目をはたしています。創世記5章は、アブラハムからノアへ、創世記10章はノアから子どものセム、ハム、ヤペテへ…。

それでは、マタイの福音書はどうでしょうか。アブラハムから始まり、ダビデを経てイエス様に至ります。つまり、「アブラハムの子孫であるイエス・キリストの時代がここから始まりますよ」という宣言となるのです。

ここでもう一つの疑問が湧いてきます。なぜ十四代ずつに区切られているのでしょうか?本当なら、この間にもたくさんの人々がいるはずですが、著者はあえてそれを代表する十四代ずつにわけて書き記しています。そこには隠されたメッセージがあります。

「エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、」(マタイ1:6)

マタイの1章に出てくる系図を注意深く調べるなら、この箇所に出てくるダビデにだけ「王」という称号がつけられていることに気付かされます。ここでの「王」は「王位、王の統治、王の支配」という意味があります。マタイはこれを意図的につけたに違いありません。

「ダビデ」という名前をヘブライ語で読み、そのアルファベットの数字を足したら14になります。旧約聖書において、ダビデ以降の王様はダビデを基準として、良いか悪いかが判断されています。ですから、この系図を通して、まことの王はイエス様であるというメッセージを見ることができます。

そしてさらに、もう一つの疑問があります。それは、最後の十四代のところが、何度数えても十三代しかないと言うことです。これは、私の個人的な考えなので、吟味して受け取っていただきたいと思うのですが、最後の十四代目は、完成されたキリストの花嫁が入るのではないかと思います。

14は7という完全数の二倍の数です。私たちの内なる人が成熟し、キリストの花嫁として完成されていくなら、私たちが最後の十四代目となり、すべてが完成されていくでしょう。

■A:考えてみよう
平成が終わり、令和の時代がスタートしました。今、私たちは日本の時代の変わり目に立たされています。私たちが令和の時代に、主の器として完成されていくために何をすればいいでしょうか。

私たちはイエス様を信じる信仰によって、イエス様の十字架の血潮によって贖われました。しかし、それは救いが完成したわけではなく、救いの途上にあることを覚えます。

「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12)

新しく始まった令和の時代を、主に捧げる時代としようではありませんか。この地の王のさらに上におられる王の王、すべてを支配しておられる神に、私たちの残りの全人生を捧げていきましょう。

■P:祈り
いつも私を愛してくださる天のお父さん、あなたの偉大さをほめたたえます。あなたは天地すべてを創造され、アダムからはじまり全人類を創造されました。この私もまた、神によって愛とご計画を持って創造されたものであることを感謝します。
平成から令和への新しい時代の転換期に私を置いてくださったことを感謝します。どうか、私がこの新しい時代にあって、なすべきことをみことばの中から教えてください。
私の造り主はイエス様です。私の主人はイエス様です。私の王はイエス様です。ですから、私はただ、神のみことばに耳を傾け、語られたみことばに従っていくことができるよう、助け導いてください。
ただ十字架を見上げ、自分を捨て、神の御心を行うことにフォーカスし、実行していくなら、主の方法によって救いが完成され、十四代目のキリストの花嫁が完成していくと信じます。私をそのひとりとさせてください。
みことばに従う本当の喜びを知ることができますように。古いものは過ぎ去り、すべてが新しくされました。新しい時代に新しい革袋を用意し、主の満たしてくださる最上のものを受け取る準備をさせてください。

私を愛し、ここまで導いてくださった愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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