■S:今日の聖書の言葉
列王記第一19章11~12節

★主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。

■O:今日のコラム
今日は平成最後の日です。日本各地で祈りが満ち溢れ、平成から令和へと向けて新しい時代の扉が開かれて行くことを願います。そこで本日、今一度立ち止まって主のかすかな御声に耳を傾ける時を持ちましょう。

私たちはこの世に生きている中であまりにもこの世の心遣いと心配や思い煩いに心が支配され、静かに主の御声を聞くことが出来ない状態になっています。この時のエリヤも、イゼベルの脅しによって恐れ、死の思いと鬱的な感情に支配されている状態でした。その中で、主のかすかな御声を聞く状態になる為に三つの霊的領域を通過する必要がありました。

(1)大風 
ペンテコステの日に天から大きな風が吹いてきて、弟子たちは聖霊に満たされたように、風は聖霊の働きを意味します。私たちの内に聖霊の風が吹くとき、心の内からもみ殻を吹き飛ばします。

もみ殻とは、見えるところは立派な形があっても実の無い生き方(2テモテ3章5節参照)を意味します。聖霊様は私たちの心の動機を探られ、主と関係に属さない、宗教的な生き方や自己義、または罪の習慣や間違った思いを全て吹き飛ばされるのです。

(2)地震 
聖霊が臨む時、地が揺れ動きました(使徒4章31節参照)。また聖書の数々の箇所において地震はさばきとも関係のある言葉です。御霊が来られる時「罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネの福音書16章8節参照)とイエス様は言われました。

つまりこれをまとめると、地震は私たちに対する主のさばきとして受け止めることが出来ます。さばきと聞くと、訴えや刑罰や断罪という意味と結びつけがちですが、ここで主の私たちに対するさばきとはこうとらえる必要があります。

それは、私たちの内にある暗闇を分けて光を照らし、死を打ち破って命を与え、罪を取り除いて神の義を与え、汚れを洗って聖さを与え、肉の性質を殺して御霊が生き、否定的な考えのシステムを壊して信仰の思いを与える等…。神が愛する子どもたちに与えるさばきは、神の義と命に溢れたものなのです。

(3)火 
聖霊様は御座の前で絶えず燃える炎です(黙示録4章5節参照)。聖書のあらゆる箇所で御霊は炎としてあらわされています。

私たちはこの世の思い煩いに支配される時、主にある使命を成し遂げる熱意や動機、喜びや願い全ても同時に失い、心が虚しさで満ちるようになってしまいます。それはまるで塩けを失った塩のようなものです。しかしイエス様は、

「すべては、火によって、塩けをつけられるのです。」(マルコ9:49)

と言われています。聖霊の火がくだる時、私たちの内の脱穀場の隅々まで、もみ殻と汚れを焼き尽くし、火によって塩けがつけられ、敵にかすめ奪われた正しい熱意や意欲がもう一度、主にあって回復するようになります。

そして、私たちの魂は主により満たされ、心に平安を得て、主のかすかな細い声に耳を傾けることが出来るようになります。

■A:考えてみよう
このゴールデンウィーク中に日頃の忙しさを脇に置き、聖霊様を歓迎して心を静め、主の御声に耳を傾ける時を持ちましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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