■S:今日の聖書の言葉
列王記第一15章14節

★高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。

■O:今日のコラム
「主の心と私の心が一つになること」…これは私自身、いつも願い求めていることです。今日の箇所に、「アサ王の心は一生涯、主と全く一つになっていた」と書かれていますが、この箇所を読むたびにも「主よ、私の心もあなたと全く一つにしてください。」という思いがわきあがってきます。

私たちは主と心が全く一つになりたいと、今日も願い求めているでしょうか?

主の心と私たちの心が全く一つになると、私たちは常にイエス様の似姿として歩めるようになり、主ご自身をあらわす者となり、いつも主を愛し、いつも主の目にかなうことだけを行うことができ、主のみこころを完全に悟り、主のみこころをいつも行い、、、、と思いますが、本当にそうでしょうか?本当に私たちは主の心と全く一つなることができるのでしょうか?

私たちの心が主の心と全く一つになることを真に求めるとき、私たちはそれと同時に、まだまだ全く一つにはなれていないこと、変えられなければならないところがまだまだあることも、神の慈愛によって、聖霊様によって、気づかされることがあります。

主と一つになりたいと心から願っているのに罪の性質が自分のうちにまだあったり、主の目にかなうことだけを行いたいのに主を悲しませるようなことをしてしまったり、主の心と一つになりたいのに主のみこころを行えない自分がいたりします。

実際は、今この瞬間には、私たちの心は主と全く一つになれていないのです。なぜなら、主と一つになるということは、人生かけて成されるプロセスだからです。なので、まだ私たちの心は主と全く一つになれていないということは、当たり前のことでもあります。

しかし、聖書にはダビデやアサの心は主と全く一つになっていたと書かれています。アサやダビデだけ特別だったのでしょうか?アサやダビデの心は本当に一生涯のあいだ主と全く一つで、全く罪も犯さないで完璧だったのでしょうか?

私たちにとって励ましでもありますが、一生涯主と心全くが一つだったと書かれているアサ王は、イスラエルの王バシャがユダを孤立化させようとラマを築いたとき、アサ王はアラムの王に拠り頼み、主に拠り頼むことができませんでした。(1列王記15:16~21、2歴代誌16:1~10)

またアサは晩年に足の病気にかかったとき、主を求めることをしないで、逆に医者を求めました。(2歴代誌16:12)

ダビデも主の心にかなった者だと主から見い出され(使徒13:22)、主の心と全く一つだった(1列王記15:3)と書かれていますが、ご存じの通り、ヘテ人ウリヤとバテ・シェバのことで罪を犯しました。しかし、主はそれでもダビデやアサのことを、「心が主と全く一つになっていた」と言ってくださっているのです。

今実際に心が主と全く一つになれていなくても、変えられるべきところがあっても、主の目にかなわないことをしてしまうことがあっても、私たちの心を見ておられる主は、私たちが「主の心と一になりたい」と思い願うその心を見て、「わたしと心が一つになっている者だ」と言ってくださるのです。

主ご自身が今もなお私たちと一つになりたいと思い続けてくださっているので、主ご自身が私たちの心を今もなお求め続けてくださっているので、私たちが主ご自身を求め、主と一つになりたいと思うときに、「わたしと同じ心だ!」と思ってくださるのです。

私たちの心をいつも見ておられ、誰よりも私たちの心を知り、私たちをいつも愛し、励まし導いてくださる神に感謝します。

そして、どんなに私たちが、主の心と一つになるように頑張っても、努力しても、私たちは主と一つになることはできません。私たちの心を主と全く一つに変えてくださるのは、御霊なる主の働きです。私たちのうちから罪を取り除き、主の心と一つになるように私たちの心をきよめ、造り変えてくださるのは主イエスの血潮だけです。

だからこそ、私たちは今日も、いつも主が必要です。主の血潮がいつも、今日も必要です。御霊の力が今日も、いつも必要です。

私たちにはできないことも、主にとって不可能なことはありません。主の血潮には力があります。私たち信じる者に働く神の力は、偉大な爆発的な力です。

ですから、私たちは今日、今一度、ただ主ご自身に信頼しようではありませんか。主が私たちのために流されたその血潮に信頼しようではありませんか。主の御力に、主の愛に信頼しようではありませんか。

主ご自身が、私たちと一つになりたい!とまず先に思ってくださり、私たちを愛し、私たちのためにご自身をお捨てになり、十字架で死んでくださいました。

主と一つになりたい!と私たちが心から願うとき、私たちの心を見ておられる主が、必ず答えてくださいます。瞬時に解放されることもあれば、時間がかかることもあるかもしれませんが、必ず主が私たちを造り変え続けてくださいます。私たちと一つになるために、主は十字架で死なれたのですから。

■A:考えてみよう
私たちの心を見ておられる主に、主と一つになりたいという私たちの心の願いを注ぎ出しましょう。

主がダビデを私の心と一つになっている者だと見い出し、ダビデに油を注ぎ、主の霊がダビデの上に激しく下ったように(1サムエル16章)、主と一つなりたいと私たちが心から願うとき、主が私たちに油を注いでくださり、御霊なる主の働きが私たちを造り変えていきます。

主と一つなりたいと私たちが心から願うとき、私たちを愛し流されたその血潮が、私たちに注がれ、力ある主の血潮が私たちをきよめ造り変えてくださいます。

キリストの信仰に、イエス様の血潮に、御霊なる主の働きに、変わらない主の愛に信頼し、「主は私を造り変えてくださる!」「主は私の心が主と一つになるように、きよめ続け、造り変え続けてくださる!」と信じ、信頼しましょう。

愛によって働く信仰が私たちのうちに、豊かに働いていきますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

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