■S:今日の聖書の言葉
列王記第一13章17〜18節

★というのは、私は主の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない』と命じられているからです。」
彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言って命じました。」こうしてその人をだました。

■O:今日のコラム
主の命令でやって来た神の人が、ひとりの年寄り預言者に騙されてしまう場面です。騙された結果、この神の人は、

「その人が出て行くと、獅子が道でその人に会い、その人を殺した。死体は道に投げ出され、ろばはそのそばに立っていた。獅子も死体のそばに立っていた。」(1列王記13:24)

獅子に殺されてしまいました。。この箇所を読む時に、なんて理不尽な!!と思ってしまいます。前半を読むと、神の人は主の命令に従い、預言やしるしまでも行っていました。ただ、言葉巧みに騙されただけなのに、殺すなんて。。

私だったら主の御座の前に立って「裁くならこのお年寄りを裁いて下さい!!この人が騙したんです!!殺すのはやり過ぎです!殺すならこのお年寄りを!!」と言うだろうなと考えていると、ふと思いました。主の前では言い訳は通用しないし、主は神の人と年寄り預言者をセットで見ておられるのではなく、それぞれを分けて見ておられるんだなと思いました。

「不正を行う者は、自分が行った不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。」(コロサイ3:25)

神の人はどんな理由であれ、主との約束を破った故に殺されました。ここに不公平な扱いはありません。

これらを思う時、私たちは自分の生い立ちや、受けてきた傷、人がした悪のせいで、罪を犯してしまったり赦すことが出来ない。という言い訳は決して通用しないなと思わされました。なぜなら、イエス様の十字架による贖いの前に、何の言い訳も出来ないからです。

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(1ペテロ2:24)

「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイ6:14~15)

イエス様の十字架の贖い、その血潮に解決があります。

自分の義を掲げて罪を犯すことを正当化しても、主の十字架の前では、どんな言い訳も通用しません。罪を犯している事実に人や環境は関係ないからです。主の前に立つのは自分です。そうであるなら、日々主の御前に進み行き、悔い改めへと導かれ、自分の持っている苦味や、傷ついた道が取り扱われていくことを願います。

■A:考えてみよう
・罪を犯している自分を正当化していないだろうか?
・赦せない心や傷を持ち続けていないだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 おりえ 】

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