■S:今日の聖書の言葉
列王記第一9章4~9節

★あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正しさをもって、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない』と言って約束したとおり、あなたの王国の王座をイスラエルの上に永遠に確立しよう。
もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしにそむいて従わず、あなたがたに授けたわたしの命令とわたしのおきてとを守らず、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、
わたしが彼らに与えた地の面から、イスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう。こうして、イスラエルはすべての国々の民の間で、物笑いとなり、なぶりものとなろう。
この宮も廃墟となり、そのそばを通り過ぎる者はみな、驚いて、ささやき、『なぜ、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう』と言うであろう。

■O:今日のコラム
私たちの教会では毎週、礼拝前の準備祈祷の時間に、みことばから一つひとつの項目にフォーカスを当て、悔い改めの祈りの時を持っています。先日はローマ1章30節の「神を憎む者」という言葉から、「神を憎む罪」を悔い改める時を持ちました。「神を憎む」とは、一義的には「自分の願いに神が応えてくれないからと言って、神に敵対することである」と語られていました。

幼い子がお母さんの手作りのお弁当を見て「私はマク◯ナルドのフライドポテトを毎日食べたいのに、お母さんは手作りしか食べさせてくれない。どうせ私のことが嫌いなんだ。」と腹を立てていたら、皆さんは「そうだよねぇ、毎日マク◯ナルドのポテト食べさせてくれないなんて、ひどいお母さんだねぇ。」と同情するでしょうか?

小さい子が「僕のパパは、僕の欲しいもの、買ってって言ってもすぐに買ってくれない!」と怒っていたら、「ケチなお父さんだねぇ、すぐ買ってくれればいいのにねぇ。」と同情するでしょうか?私であれば、そのような発言を聞いたら、その子の首根っこをつかんで説教してしまうかも知れません。

けれども、信仰の成長過程にある私たちは、天の神様に対してそのような態度をとって、神を憎み、神を逆恨みしてしまう時があるかも知れません。

こんなにみことばを読んだのに、状況が思うように変化しない。沢山、祈ってるのに試練が終わらない。献金してるのに、欲しいものが手に入らない。なんで、神様は私を愛していると言っておきながら、こんなことを私に起こすんだ…etc

私たちは何故、みことばを読み、祈り、礼拝を捧げるのでしょうか?それは神様を自分の思う通りに動かすためではありません。自分の良い生活を得るためでもありません。もちろん、私たちの主は良いお方、真実なお方、慈愛の父です。

私たちが生まれる前から、私たちの名前を知り、将来と希望の計画を立ててくださり、最後まで私たちと共にいてくださり、その手を握っていてくださるお方、運んでくださるお方です。罪の赦しを得させるために、ご自分の御子をさえお与えになった永遠の愛の父ですから、私たちに最善のものを下さらないはずがありません。

けれども、信仰生活の歩みの中で、もし、自分の内に上記のような神に対する失望や怒りが湧くならば、次のみことばを思い出したいと思います

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」(詩篇100:3)

「主」が私たちの「神」であって、私たちが「神」なのではないのです。

神への失望、敵対心、怒りが湧く時に思い出したいもう一つのみことばは、今日の箇所です。いにしえから、神の条件は明確です。申命記28章にもありますが、神に「従うなら」、神の御手の守りがあり、祝福が伴い、神に「従わないなら」、御手の守りから外れ、しりぞけられる。

天地創造の最後に人間が造られたのは、神の私たち人間に対する愛のゆえであって、人間が一番偉いからではありません。天地は私たち人間のために存在するのではありません。私たち人間を含め、全ては被造物であって、神のために存在するのであり、ちりから造られたような私たちに、主が目を留めて下さっているという大きな恵みに感謝しましょう!

■A:考えてみよう
祈ることも、みことばを読むことも、礼拝を守ることも、神様との関係がなければ、すべてが宗教になってしまいます。もし、宗教であるならば、「みことばの通りに生きていきたい」という願いは湧いてこないでしょう。むしろ、それを重荷に思い、苦痛に感じるでしょう。

御父との愛の交わりを願う者となるためには、やはり、御父の愛を知らなければなりません。そのためには御霊の助けが必要です。御霊の助けによって、父なる神の愛を知る時に、宗教的な行いは、神への愛の原語へと変化します。

今日、聖霊様を歓迎し、へりくだって御霊の助けを求めましょう。

■P:祈り
天のお父様、あなたの主権を今日改めて認めます。私の人生の主人はイエス様であって、私ではありません。私が神に逆恨みして、敵対してしまうことがないように、神様に失望して、つまずいてしまうことがないように、聖霊様、どうか私の心をあなたで満たし、守って下さい。みことばを読むことも、祈ることも、礼拝捧げることも、みことばの通りに生きることも、あなたの愛を知って、あなたへの愛の応答として、喜びをもって出来るように、聖霊様助けてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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