■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第二2章38節
★誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。
■O:今日のコラム
今日からイスラエルのカレンダーにおいて過越しの祭りが始まります。
旧約聖書においてモーセと共にイスラエルの民が羊の血を家のかもいに塗り、死の災いが過越したことを覚え、また新約聖書においては神の小羊であられる主イエスが十字架に架かられ、血を流し、私たちの贖いを成し遂げて下さったことを覚え、今日は新たな心で十字架の恵みを仰ぎ見て、主イエスが流された聖なる血潮を受け取る時としましょう。
主イエスは十字架で血を流されるのに先立って、ゲッセマネの園でまず最初の血を流されました。それは汗が血に変わる程の祈りの苦闘の故でした。主イエスは十字架の試練を前に、苦しみもだえ、自分の心を正直に父なる神に打ち明けて祈られました。
「それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、またこう言われた。『アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。』」(マルコ14:35~36)
この祈りを見る時、イエス様でさえも苦難と試練を避け、自分の使命から逃れようとする大きな誘惑に直面されていたことを覚えます。しかし、イエス様は自分の願いではなく、父のみこころが成されることを切に願い求め、汗が血に変わる程の祈りによってこの大きな誘惑に打ち勝たれました。
このゲッセマネの園においては大きな誘惑と暗闇、そしてまどろみの霊がその場を覆っている状況でした。その為、弟子たちはそこで皆眠りこけてしまったのです。聖書には、
「ひどく眠けがさしていた。」(マルコ14:40)
「目をあけていることが出来なかった。」(マタイ26:43)
と記されており、そこには強烈な眠りとまどろみの霊が働いていたことが分かります。
現在この終わりの時も、全世界を暗闇が覆い、私たち主の民の上に強烈な眠りとまどろみの霊が働いている時代です。少し油断し、この世の思い煩いや様々な誘惑に目を向け続けるなら、簡単に主から目を離してしまうような時代に生きています。
しかし、私たち一人一人には、父なる神から与えられた偉大な使命があります。その使命が最後まで果たされ、主の御顔の前に立つその日まで、堅く信仰に立ち続ける為に、私たちも主イエスがゲッセマネで勝利されたように、祈りによって誘惑に打ち勝つ必要があります。
終わりの時に生きる私たちに対してイエス様は、繰り返し「目を覚ましていなさい」と呼びかけておられます。
「だから、目をさましていなさい。あなたがたは自分の主がいつ来られるか、知らないからです。 」(マタイ24:42)
「だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。 」(マルコ13:35)
そして、私たちがまどろみと誘惑に打ち勝ち、信仰の目を覚ましている唯一の方法が「祈り」です。
「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。 」(ルカ21:36)
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。 」(1ペテロ4:7)
祈りの習慣を築き、日々定期的な祈りの時を持ちましょう。そして、その祈りの内容も、私の夢やビジョンの達成、必要や満たしばかりを求めるのではなく、父のみこころが成されることを祈り求めましょう。
どの様に祈ったら良いか分からない弱き私たちを御霊なる主は助けて下さり、深いうめきを持って父のみこころが成されるようにとりなして下さいます(ローマ8:26~27参照)。
祈りによって目を覚まし、今の時代に打ち勝つ力を主から共に受け取りましょう。
■A:考えてみよう
この過越しに、十字架を見上げて主イエスの血潮による赦しと聖めを告白して祈り、また御霊により異言で祈りましょう。
この時代において目を覚まして生きる為に、日々の生活で1時間の祈りの時間を確立することを目指しましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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