■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書14章1節(エレミヤ50章・2ペテロ1章)
★さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。
■O:今日のコラム
今日のみことばの通り、あと二日後には、過越の祭りがスタートします。中には、「私はプロテスタントの信仰なので、ユダヤの祭りは私とは関係がない」と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、本来、初代教会の時代はイエス・キリストを信じるものも過越の祭りをはじめ、七週の祭り、仮庵の祭り、そして安息日も守っていました。どこからキリスト教会とユダヤの祭りが無関係になってしまったのでしょうか。
少し、世界史のようなお話になってしまいますが、それは、A.D.325に開かれたニカイア公会議というところでなされた決議に基づきます。ここでは、キリストを被造物の一部だと主張するアリウス派を異端と決定したこと、そして、教会からユダヤ的要素を排除するという決議がなされました。
皇帝コンスタンティヌスはキリスト教会の迫害のさなか、夢の中で見た十字架にヒントを得、キリスト教を国教とし、養護するという方向転換を切りました。しかし、彼は巧妙にキリスト教徒の信仰に自分が礼拝していた太陽神ミトラの要素を盛り込みます。結果的にはキリスト教を利用し、混ぜ物をした形になります。
ここからキリスト教会とユダヤの背景は切り離されてしまい、現在に至ります。しかし、感謝なことに、主は祈りの家を通して、もう一度初代教会の信仰を回復してくださっています。
過越しの祭りは十字架を通して見るなら、イエス・キリストの初臨を啓示しています。種無しパンの祭りは罪なくこの地上を歩まれたキリストのこの地での生涯を啓示しています。初穂の祭りはキリストの復活を啓示しています。
サタンは私たちを惑わし、このような啓示を見えなくするべく、覆いをかけてしまいます。
旧約聖書と新約聖書は別々のものではなく、ひとつのものであり、神の御心が貫かれています。
今日のもうひとつの通読箇所であるペテロの手紙第二1章20.21節ではこのように書かれています。
「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」
神のことばを人の私的解釈で曲げてしまってはいけません。
今日の聖書の箇所を見ると、過越の祭りの前に、このような霊性が働くのを見ることができます。
すなわち、みことばそのものであるはずのイエス様をだまして捉え、殺してしまうという事です。
祭司長、律法学者は、神のことばを愛し、熱心に守ろうとしていました。
しかし、長い歴史でその熱心がいつしか神の御心からそれてしまったのです。
「また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。
モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言っています。
それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。
こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」
(マルコの福音書 7章9~13節)
いくら熱心であっても、神の御心からそれた熱心は的外れになってしまいます。
過越前のこの時期、私たちはもう一度十字架の贖いと恵みに目を向けていきましょう。
イエス様のいのちである血潮を受け、ともに過越の主をほめたたえていきましょう。
■A:考えてみよう
私の熱心は神様の御心から外れていないだろうか?
神は愛であり、愛の定義はこのようなものです。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。」
(コリント人への手紙 第一 13章4~8a節)
熱心のあまり、人々をさばいたり、みことばの粗探しをするような事をやめ、愛の実践をしていきましょう。
みことばを読み、よく祈り、神と共に歩み、御霊の実を豊かに実らせていただきましょう。
■P:祈り
私を愛してくださる天のお父さん、あなたが遣わしてくださった過越の主、イエス・キリストを心から感謝します。この御方は罪なく歩み、その尊いいのちを自らささげ、十字架にかかり、私たちの罪を購ってくださいました。
それで終わることなく、復活の力を持って、今も生きて働いて下っていることを感謝します。
どうか、この御方の考えられない恵みを受けながら、自分の熱心によってあなたの御心からそれてしまわないよう、助けてください。
あなたの十字架を見続けます。イエス様の血潮の力を宣言し、受け取ります。
今年の過越しに注がれる主の恵みに目を向け、受け取っていくことができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【しゅん】
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