■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第二3章9節

★主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

■O:今日のコラム
ハレルヤ!シャバットシャローム!主の平安がありますように。

私たちの望みは主にあります!主が迎えに来られるということが教会の希望であり、喜びです。この希望がなければ私たちは自分たちの欲のために生き、教会が花嫁として整えられることはないでしょう。

第二ペテロの手紙のはじめには、「これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。」と手紙を書いた趣旨が示されています。純真な心が失われてしまったので、もう一度手紙を書いたことがわかります。純真な心が失われた、すなわち「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。」ということが語られ始めたということです(第二ペテロ3章4節参照)。

主の再臨を疑う者たちの姿がここに記されています。

「まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやってきてあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、、、」(第2ペテロ3:3)

私たちの内にあざけりの心があるでしょうか?ただ単に人に対するあざけりではなく、御言葉に対するあざけり、または御言葉を純粋に信じて行っている者に対してのあざけりの心があるかどうか、今一度自分の心を点検しましょう。

また、自分たちの欲望に従おうとする性質があるでしょうか?このような性質は、主に対する情熱や、整えられたいという願いを失わせる可能性があります。

日々、主の日が来るのをどのようにして待ち望むのか、そのことを考えるのはとても重要なことです。私たちは自動的に聖く傷のない者になれるのでなく、日々聖められ、しみやしわもないキリストの花嫁として整えられ、やがて主の御前に立つのです。

「ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:27)

では、聖く傷のない者となるにはどうすればよいのでしょうか?

「悔い改め」です。

私たちに必要なのは、傷やしわやしみがあることを認めて、日々主の元に立ち返ることです。御言葉によって、水の洗いをもって聖めていただく必要があるのです。悔い改めを通して「主が戻って来られる!」という望みが私たちの内で回復し、主の再臨が私たちの希望となっていくと信じます。

■A:考えてみよう
もし明日で自分のいのちが終わるとしたら。と考えたことはあるでしょうか?私たちに残るものは何なのでしょうか?大切に持っている服、残しておいた思い出の品、蓄えた貯金、成功や夢…etc 何もかも地上に置いていかなければなりません。

私たちは地上のことで思い煩うことをやめ、主の御前に立つ準備をしていきましょう。主に立ち返り、私たちの傷やしみやしわを御言葉によって洗いきよめていただきましょう。主は私たちが悔い改めることを忍耐をもって待っていてくださっているのです。

私たちの内で「主が来られる」という望みが回復されていくことを願います。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あはごん 】

カテゴリー: マナメール

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