■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第一4章1節

★このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。

同7節

★万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

■O:今日のコラム
「敬虔」という言葉は、信じていることと、実際に行っていることが「一致」していることを意味するそうです。

主の御心は第1テサロニケ5章23節にある通り、主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、私たちの霊、たましい、そしてからだが完全に守られることです。

霊、たましいだけでなく、私たちのからだにも神様は関心を持ち、気を配っておられ、主にある完成を願っておられます。

しかし、聖徒が地上で生きる間の大きな葛藤の一つに、信仰と行いが(程度の差はあれど)かけ離れてしまっている特定の領域を抱えていること、があるのではないかと思います。

信仰の道を歩もうとするとき、肉体の様々な欲求に対して自制を学ぶ、というプロセスへ導かれます。肉体の欲求が満たされることには一時的な満足や喜びが伴いますが、私たちはそれを治めるべきであると心や知識で分かってはいても、古い肉の頑なさのゆえにそれが満たされずにはどうしようもいられない、という衝動や誘惑にかられることがあります。

この葛藤に対する解決はイエス様の十字架だけであることを今日も思い起こしましょう。イエス・キリストこそ地上での生涯において、この敬虔の道を全うされたお方です。肉体におけるすべての面で、人と同じように誘惑にあわれ、苦しみをしのばれました。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(へブル4:15)

続く節で主は私たちをご自身のもとへ招いてくださっています。

「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:16)

肉体を持つ限り、この葛藤は絶えず私たちを悩ませるかもしれません。しかし、失望したりあきらめたりすることなく、主の豊かな恵みによって、信仰と行いが一致する敬虔な者へと造り変えられる、その歩みを続けていきましょう。

信仰はものすごく小さな種に例えられるように、まず土の中に蒔いて見えないところから始まります。主に対する信仰が働くとき、まだ目で見ていないものについての確信と希望が私たちに与えられます。それは、私たちの外面的な状況に左右されることはありません。

状況が好転してから主のもとへ行くのではなく、弱さや葛藤のただ中、病や痛みを抱えている時、悪習慣の中に埋没しそうになるその時こそ、私たちをご自身の子として迎え入れ回復してくださる主を信じ、恵みの御座へ進み行きましょう。

■A:考えてみよう
自分にとって自制の実を結ぶ必要のある肉の性質は何だろうか。
以下のみことばを朗読して、主に自分自身のありのままを打ち明け祈りましょう。

「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:16)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ぺい 】

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