■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第一3章14~16節
★いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
■O:今日のコラム
世の中にあって希望とは、経済を得る、名声を得る、快楽を得ることなどであることが多いです。しかし私たちの希望はそれらにはるかに勝る希望です。それは永遠のいのち、イエス・キリストと一つになることです。
世の価値観にあっては希望がない状況でも、私たちは失望させられることがありません。よく「証になる」「証にならない」という言葉を聞くことがあります。世の中で成功し、名声を得、誰もが羨ましい状況になる。それも素晴らしい証になるでしょう。しかし絶望的な状況にあっても希望を失わず、喜びを失わず、愛を失わずに生きる生き方が証になる、とここでは語られています。
他の箇所にもこうあります。
「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。」(第1ペテロ2:12)
私たちは証をもって人々をイエス様に導くことができます。証はとてもパワフルです。証には言語的に「再びそのことが起こるようにする」という意味があります。救いの証を聞いた人が救いに入ることがあるのもうなずけます。だから証による伝道は、救われた人なら誰でも可能です!
そして語る言葉だけでなく、私たちの生き様も証になるのだ、と聖書は語っています。私たちが希望をもって、主に忠実に生きるなら人々もそのような生き方に招き入れられていくことが起こるのです。
■A:考えてみよう
私たちの言葉と行いの両方が福音伝達にとって大切です。神の国はいつでも有言実行、告白とその実はセットです。初代教会の聖徒たちが、大胆に語り、大胆にみわざを行えるよう願ったようにです。
立派なことを語っていても行いが伴っていないと証にならないこともあると思います。忠実に、誠実に語り、行う生き方を身につけましょう!その人を通して多くの人々が救われていくことを信じます!
■P:祈り
主よ。大胆に語り、大胆にみわざを行うことができますように。私の言葉と行いとがあなたを証するものとなりますように。私を御霊と御言葉の力で満たし、あなたの証人としてお用いください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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