■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙12章2節
★この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
■O:今日のコラム
主は、世の中と調子を合わせてはならない、と言われます。御霊の思いは、肉に真っ向から反対するので、私たちが御霊に従う歩みを始めると、世の中の流れとは違う流れに入っていきます。世の中では「あなたを愛する人を愛し、あなたに敵対する人を憎む」のが当たり前ですが、神の国の文化は「あなたの敵を愛しなさい」です。
世の中の流れに従って生きる方が楽な部分がありますが、それでは教会が教会らしさを失ってしまいます。休みの日に時間を捧げて集まり、礼拝することは世の基準から考えると非合理的に思えるかもしれません。もっと自分の好きな事をして生きる方が世の中においては効率的に思えるでしょう。しかし人の目には正しいと見える道を進むならその先は死であり、御霊に導かれる道の先にあるのはいのちです。
私たちは神の御心を求めて生きていきましょう!それをここでは「すなわち」とつけて更に三つに分けています。
(1)何が良いことか?を求める
私たちが「良い」とされるのは、ただ唯一イエス様の十字架によります。何が良いのかを求めればイエス様の十字架に行き着きます。
また、何が良くて何が悪いのか?を知る物差しは御言葉です。御言葉を知らなければ罪がハッキリ分かりません。御言葉をたくさん朗読しましょう。御言葉を読むとときに自分の罪がはっきり示されますが、その時こそイエス様の十字架の恵みに預かるときです、十字架の前ではっきり告白して悔い改めましょう。
(2)何が神の喜びなのか?を求める
何が神に受け入れられるか?ではないのですか?と思われるかもしれませんが、ここで使われている「受け入れる」はギリシャ語で「ユアレストス」ですが、このように訳されている言葉です。
「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」(2コリント5:9)
ユアレストスは、ここにある「喜ばれること」です。他にもあります。
「そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」(エペソ5:10)
ここでも「喜ばれること」と訳されています。神に喜ばれることを求めて生きることは、主との関係に生きる私たちにとって愛の成熟をもたらします。それは悔い改めの先にあります。肉を捨てなければ真理を悟ることはできません。また喜んで仕えられません。
嫌々ながらでも強いられてでもなく、喜んで与える者は、主との愛し合う関係を成熟させ、御霊の実である愛を成熟させていきます。私たちは神の宮ですが、聖書を見ると、神の宮は喜んで与える物によってしか建て上げられないのです。
(3)何が完全であるか?を求める
聖書でいう完全とはパーフェクトというより成熟したもののことです。それは大人になった、主と一つになった、と言うような意味です。もちろん全てが主と一つになった人は地上にはいませんが、部分的にそのようになった部分を持つことは可能です。
聖書で完全になるということは、何かこの地上でいのちのように大切にしていたものを手放して得るものです。御心に従うために手放さなければならない状況を主が与えられます。その信仰の試練と言える状況で神を愛することを選ぶなら大きな犠牲を払うことになりますが、それにはるかに勝って大きな報いを得ることになります。それはまことのいのちです。
そのように御心を求めて生きるなら、世の中に流されることが無いことを感謝します!
■A:考えてみよう
それぞれの段階を自分に当てはめて、御心のどの段階を求めることが特に必要なのか?を考えてみてはどうでしょうか。私は「何が神に喜ばれるか?」と特に求めて歩むことを学んでいます。
■P:祈り
主よ。御心に歩むことを教えてください。その味わいを教えてください。それを妨げている全てを十字架につけることを求めます。あなたの喜びが私の力です。世で持っている一時的な物を手放してでも、私が願い求めるのはあなたです。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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