■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙 8章2節(エレミヤ36章)

★なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

■O:今日のコラム
罪の性質、肉の性質、古い性質に死んで、新しい性質に生きていきたい、キリストが内に生きていただきたいと心に願い、私たちは悔い改めます。

けれども「きよめられたい。変わりたい。キリストのご人格をもつ者になりたい。」と願う時に、発見するのは「変わりたいのに変われない自分」です。
「神の御心を行いたい、みことばの通りに生きていきたい。」と願う時に、発見するのは、それを行うことが出来ない自分です。

昨日のマナメールでも取り上げられていましたが、パウロは7章において、次のように語りました。

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」

これは、悔い改めて、自分の罪を死に追いやろうともがく人なら、誰しもが心に抱く嘆きではないでしょうか。
御心を行いたいと願う人なら誰しもがぶち当たる絶望ではないでしょうか。

7章において、「変わりたくても、変われない絶望的な自分の状態。いくら死に追いやっても、死にきれない肉の性質。」が思い起こされ、8章においては、そのような絶望的な私たち人間に与えられた希望が語られています。それは、肉の性質にまさる御霊の力です。
キリストを知る前の私たちの内には、私たちをただ滅びへとまっしぐらに向かわせる肉の力、罪の力だけが働いていました。

けれども、イエス様を信じる者たちに、御霊が与えられました。信じる私たちの内には今日の聖句にあるように、2つの力が働いているのです。

一つは「罪と死の原理」、そしてもう一つは「いのちと御霊の原理」です。原理を、「支配」と置き換えると理解しやすいかもしれません。私たちの内に「罪と死の支配」と「いのちと御霊の支配」があるのです。

パウロはこの2つの支配の対立についてガラテヤ人への手紙において、次のように語っています。

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。」(ガラテヤ5:16,17)

また、ローマ8章においても、次のようにあります。

「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」

本当はみことばを読みたいのに、聖書を開くことを重荷に思ってしまう自分。祈ることが大切だと分かっているのに、祈れない自分。相手を赦すことが御心だと分かっているのに、相手を赦せない自分。恐れる必要がないと分かっているのに、恐れてしまう自分。怒りたくないのに怒ってしまう自分。罪だと分かっていることが辞められない自分。

これを言い換えるなら、聖書を読みたくないという肉に従う自分、祈りたくないという肉に従う自分、相手を赦したくないという肉に従う自分、恐れるという肉に従う自分、怒りたいという肉に従う自分、罪を行いたいという肉に従っている自分なのです。

私たちは自分の日々の選択次第で、肉の性質を強めることも、弱めることもできます。御霊の支配を大きくすることも、小さくすることもできます。

私たちのうちにある肉の性質を強める方法、それは、見るもの、聞くもの、口で語ること、思い巡らすことをこの世の事柄で満たすことです。
逆に、私たちの内にある肉の性質を弱め、御霊の支配を大きくする方法、それは、見るもの、聞くもの、口で語ること、思い巡らすことを、天にある事柄で満たすことです。

神ご自身であるみことばを私たちの内に溢れさせ、心に刻み、御霊を歓迎し、御霊によって祈ることを意思をもって選択していきましょう。御霊により頼んでいきましょう。

「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」(ガラテヤ5:24,25)

■A:考えてみよう
自分の日々の選択は肉の性質を強めるものだろうか?御霊の支配を大きくするものだろうか?

■P:祈り
主よ、私は変わりたくても変われない、本当にみじめな人間でした。けれども、そのような絶望的な私に御霊が与えられたことは、なんという恵みなのでしょうか。

私は自分自身の肉の性質、罪の性質を日々、十字架につけていきます。
イエス様が言われたように、日々、死の象徴である十字架を背負って、あなたについていかせてください。

御霊を悲しませる生活ではなく、御霊を歓迎し御霊に喜んでいただく歩みをすることができますように。
聖霊様、あなたなくしては、私自身は罪の性質を死においやることなど到底出来ません。切実にあなたの助けを求め続けます。

一日では変わることが出来ませんが、あなたが愛してくださっているので、あきらめません。
あなたの愛から、私を引き離すものが何もないことをありがとうございます。
自分の内の罪との戦いにおいて、私はキリストにあって圧倒的な勝利者であることを告白し、罪と戦い続けます。きよめられることを追い求め続けます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

カテゴリー: マナメール

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