■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙4章24,25節
★…すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
■O:今日のコラム
祈りの家で用いて祈る、血潮を宣言するテキスト、始めの12の項目の中にこのような宣言文があります。
「イエス様の血潮は今まで一度も罪を犯さなかったかのように私を義と認められます。」
この宣言文は本当に力強い宣言であり、祈りの中で何度慰められ、涙したかわかりません。イエス様の十字架の偉大さと、その恵みと愛の大きさは計り知れないことを覚える時とされます。この宣言文は、下記の御言葉に基づいた宣言文です。
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:24)
今日の御言葉の箇所にもありますが、私の罪のために十字架にかかられたイエスキリスト、そしてイエスキリストをよみがえらせた方を信じる信仰によって、私たちは義とされます。
「信仰」とは「信頼」と訳すことができると礼拝メッセージで聞きました。つまり、主の成されたことにおける望み、信頼に値するお方に信仰(信頼)を置くことが、私たちの義とされるのです。つまり、私たちの持つ信仰は、いつも主体が主にあるべきだということです。信仰を始められ、信仰を完成されるのは、私たちの主イエス様です。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)
■A:考えてみよう
今日という一日も、救いの達成に努める歩みとされますように。パリサイ人や律法学者のような、自分の行いや自分自身に依り頼む「自己義」を十字架に持っていきましょう。
立派なクリスチャンではなく、正直な神の子どもとして天のお父さんの前に出たいと願います。恵みと裁きの座、天の法廷に立ち、祈り、罪の赦しと血潮による義を受け取りましょう。
私たちがイエスキリストの血潮による義を受け取る時、私たちを訴え続けるサタンの訴えは退けられ、私たちの内に神様の「使命」が回復します。
イエス様が来られる日を待ち望み、ただこのお方だけに信頼し、望みを置いて歩むことができますように。何一つ罪のない正しいお方、義なるお方、イエス様の血潮を日々の生活の中で告白し続け、神の義を受け取り続けましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あい 】
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