■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙3章23~24節
★すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
■O:今日のコラム
アダムとエバが善悪の木の実を食べて罪が人類に入った時、彼らが最初にとった行動は、いちじくの腰おおいを作って自分たちの罪と恥を隠すことでした。
その時から今に至るまで、人間は自分の方法で罪を覆い隠そうとする性質があります。クリスチャンであっても時には自分の善き行いや熱意により、またはミニストリーの達成や人からの評価により、そして律法的な生き方や宗教的な熱心により、神に受け入れられ、認められようとしてしまうことがあります。
しかし、上記の御言葉に「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」と記されている通り、それら人間の方法はどれも神に近づく為の条件にはなりません。これらは全てアダムが作ったいちじくの腰おおいのように神の義の基準に達することは出来ないのです。
エデンの園で主は、いちじくの葉の代わりに、動物の犠牲の血を流して皮の衣を作りアダムとエバに着せました。それは創世記の初めから示された主イエス・キリストの十字架の贖いの啓示でした。パウロは続く御言葉で「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」と言っています。イエス様ご自身が、
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14:6)
と言われている通り、私たちが天の父なる神に近づくことの出来る唯一の方法はイエス・キリストの十字架の贖いを通してのみなのです。主は私たちが自分の方法で立派な義人になることではなく、自分の罪を正直に認め、宗教的な腰おおいを十字架に打ち付け、キリストの義の衣を着るようになることを願っておられます。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(第1ヨハネ1:9)
主イエスは私たちの罪の恥を隠す腰おおいを取り除く為に、ご自身は腰おおい一つも身に付けず十字架にかかり、私たちの全ての罪と恥を背負って下さいました。イエス・キリストの血潮に全ての罪の解決と救いがあります。
■A:考えてみよう
今日も十字架の前に進み出て、自分の罪と不義を正直に告白し、主イエスの十字架の恵みと血潮によるきよめを得、神の義を受け取りましょう。
以下の御言葉を言葉に出して朗読し、十字架の前に進み出て祈りましょう。
「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」(ローマ3:25~26)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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