■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙2章16節

★私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。

■O:今日のコラム
人生の中で私たちが行った行動、口から出た言葉、目で見たもの、心の内にある思いや考えまでもが全て、世界中の人々に公に知られるとするならどうでしょうか。誰もが恥を覚え、逃げたくなるでしょう。しかし、来たるべき日に私たちの内にある全てが、主イエスの御前に何も隠すことなく開かれ、正しくさばきが行われることになるのです。

このような「さばき」について知る時、私たちは「正しく生きたい。」という願いを持つようになりますが、問題は正しく生きたいという願いはあってもそう生きることの出来ない肉の性質が自分の内にあるということです。

パウロはローマ書全体に渡ってこの問題に取り組み、主イエスの十字架を通して救いを得、また聖霊の助けによって肉の性質から御霊にある性質へと私たちが変えられて行くことを教えています。

もし、私たちが来るべき日に主からさばきを受けるのではなく、今日という日に主のさばきを経験するならそれは豊かな恵みです。

「さばき」という言葉を思う時に、刑罰や罪に定められる。ということだけをイメージしますが、こう考えてみましょう。さばきとは闇に光が照らされること。罪に赦しがもたらされること。汚れに聖さがもたらされること。死に命がもたらされること。不義にキリストの義がもたらされること。偽りに真理がもたらされること。サタンが打ち負かされ神の国が勝利すること。わたしたちはこのような主のさばきを日々体験して生きることができます。

詩篇119篇は祭司エズラが記したものと言われていますが、その詩篇の中でエズラはこのように告白しています。

「私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。」(詩篇119:20)

愛や祝福であるなら誰もが慕い求めますが、エズラはここで「いつもあなたのさばきを慕い」と言っています。彼はそれが主からの豊かな恵みであることを知っていた故に、そう告白することが出来たのでした。

私たちも日々、主のさばきを慕い求めて歩んでまいりましょう。御言葉の剣で心を突き刺され、御霊の光で照らしていただき、全ての不義と罪と肉の性質を十字架の前で包み隠さず告白し、イエス様の尊い血潮で洗われ、主による聖さと解決を受け取りましょう。今日という日に悔い改めることが出来るのは主の豊かな慈愛によることです。

■A:考えてみよう
以下の御言葉を朗読し、今日という日に自分の罪や弱さを正直に主の御前に告白し、十字架の内に啓示されている主の赦しとさばきを慕い求め、主の豊かな慈愛によって悔い改めの祈りをしましょう。

「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(ローマ2:4)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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