■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き26章6~8節
★そして今、神が私たちの父祖たちに約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。
私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります。王よ。私は、この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです。
神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。
■O:今日のコラム
ユダヤ人が待ち望んでいるものは、自分たちを救ってださるメシヤなのです。そしてこの聖句を見るなら、熱心に神に仕えて得たいと望んでいるものがあることが分かります。それはこの文脈を見て分かるように、メシヤを通してもたらされる「復活のいのち」「永遠のいのち」なのです。
メシヤとは、キリストのことです。イエス様を通して私たちの霊はよみがえり、永遠のいのちを受けたのです。救いの入り口の聖句はローマ10章9~10節ですが、そこでもイエス様を通りてよみがえりを信じて、私たちの霊がよみがえったことが見て取れます。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ人10:9~10)
よみがえりを信じていなければ救われていないと言っても過言ではありません。これは基礎的なことなのです。私たちの霊は死んでいました。主の霊が注がれていないなら、それは死んだものです。イエス様を通して、私たちの霊にいのちの御霊が注がれ、私たちはよみがえったのです!ハレルヤ!
私たちの体も「滅ぶべき体」とローマ書にあるように死ぬことが定められています。そしてこの体が死んだときに、御霊に満ちた栄光の体によみがえります。
ちょっと待ってください。たましいはどうなるのですか?霊、たましい、体があると聖書は言いますが、体が死んだときにたましいも栄光によみがえるのですか? いいえ。それは地上にいるときに起こる変化なのです。主は地上にいる私たちに対して、肉に死になさい、と語られます。古い人に死になさいと。それはたましいに対してなのです。栄光によみがえるためには御心に沿って死ななければならないからです。
主は、朽ちる物で蒔かれ、朽ちない物によみがえる、と語っています。こうしてよみがえらされたたましいは、朽ちることの無い永遠の相続なのです。
主が「怒りを手放しなさい」というなら「その怒る性質を十字架につけて死んでいくべきです」。主が「妬みを捨てなさい」というなら「その妬む性質を十字架につけて死んでいくべきです」。それは、私たちを苦しめるために主が語っておられるのではなく、主が豊かに報いをお与えになるための招きなのです。よみがえった領域は栄光によみがえった主と一つになるからです。
この地上でどれだけ主と愛し合う関係を築いたか?は、永遠の世界でどのように主と愛し合う関係を持つか?に直結しているのです。
■A:考えてみよう
古い人に死ぬことを感謝して受け入れましょう。必ず栄光によみがえることを信じましょう。悔い改めを毎日一つするライフスタイルを持ちましょう。
■P:祈り
私の地上での歩みが実り豊かなものになることを願います。私自身のたましいが新しくされることを信じ、また願い求めます。私の願いはあなたと一つになることです。あなたとより深い愛の関係を持つことです。導き主であられる聖霊様、どうぞ導いてください
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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