■S:今日の聖書の言葉

エレミヤ書22:21(使徒の働き22章)

★「あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。」

■O:今日のコラム
旧約聖書には沢山の苦難の歴史が出てきます。それは、その歴史を見ることを通して、それを読む神の民が同じ過ちを繰り返すことなく、真理に到達するためであります。主は、はじめから人に苦難を与えたいとは思ってはおられません。けれども、もし人が悟ることが出来ずにいて、御心から逸れた歩みを続けるならば、そこから引き戻すために、主は試練を与えることがあります。

エレミヤは実に40年近くユダの民に対して、神からの警告を語り続けました。けれども、今日の箇所にあるように、民は自分たちが繁栄している間は、その心が鈍くなり、神からの語りかけに耳を傾けることができませんでした。そのことのゆえに、結果、エルサレムは滅亡し、指導者たちは殺され、民はバビロン捕囚を体験することとなります。

ヨブもすべてのものを失って初めて、自分は「つまらない者」である、と悟ることができました。痛みを通った時に、初めて、自分は不義なる存在で、神だけが義なるお方であることを心底知ることとなりました。

すべてが事足りている中で、心の貧しさを保つのは難しく、主に対する飢え乾きをもつことは難しいと感じます。
人は失望を体験する時に、神こそが希望であることを見出します。
孤独を味わう時に、変わらない神の愛を切望します。
何も持たない自分を知る時にこそ、すべてをもっておられる主をみつめるようになります。

バビロン捕囚を体験した後に、イスラエルの民は母国に帰ってきますが、宮が建て直され、みことばを回復した時の喜びはなんとも大きなものでした。

■A:考えてみよう
恵まれた平穏な日々の中にいると感じる時は、そのような日々の中で、心が肥え太り、御声に鈍くなることがないように、みことばを愛し、時に断食し、心の貧しさを失わないようにしたいと願います。

また、苦難の中にいる時には、ヨブのようにいつまでも悟れずに長く苦しむことがないように、すぐに自分の不義を認め、へりくだることを選び取ることが出来るようにと願います。

■P:祈り
主よ、あなたが砕いてくださらなければ、砕かれた心をもつことが出来ない、愚かな私です。あらゆる時に、あなたの御声に聞き入り、新しく作り変えられるために、喜んで自分自身を御前に差し出すことができますように。十字架の先にある喜びを見つめられたイエス様のように、苦難の先にある喜びを見つめる目を与えて下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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