■S:今日の聖書の言葉
エレミヤ書17章7節
★主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。
■O:今日のコラム
シャバットシャローム!主の安息の中にとどまりましょう!
「誰が主であるか」はとても重要です。そして、その主人はどんなお方なのか。何を願っておられ、どのような目的を持っておられるのか。聖書には良い主人も悪い主人もいますと書いてあります。私たちの主人は良い主人です!信頼に値するお方。頼みとしても失望させられることはないほど満ち満ちておられます。
エレミヤ17章は、祝福と呪いがはっきりと書かれています。この短い章の中で、主に信頼する者と、主に敵対する者とでどういう結末があるのか、わかりやすくまとめられています。
あなたは祝福を受けたいですか?もちろんその答えは「はい!」でしょう。私も呪いと祝福なら祝福を選びます。でも、主の側にも祝福する条件があるのです。
「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。」(エレミヤ17:7)
主に信頼する者が祝福を受けるのです!信頼する者とはどのような者であるかが8節から書かれています。
「その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。」
具体的ですね!詩篇の一篇のようです!比喩的に表現されていますが、このような人が主に信頼し、主を頼みとしている人であると語っています。木とは聖書では人のことをいいますが、水は聖霊様を表します。人が、聖霊様のそばに居続けるのなら、葉を茂らせ、実を実らせるのです。
当たり前のように思えますが、恵みを受けているのは水のほうですか?それとも木のほうですか?そうです、木のほうです。主に信頼することで恵みを受けるのはどちらですか?主ではなく、私たちのほうなのです。
これは本当に感謝なことです。主に信頼することは、難しいことでも、試練に思えることや忍耐することではなく、実際的にも祝福を受けることなのです。
木が水のそばにいるなら必ず成長し、実を実らせるように、私たちが主に信頼するなら必ず祝福を受けるのです。
■A:考えてみよう
木もいろいろなシーズンを通って実を実らせるというならば、私たちもたくさんのシーズンを通るでしょう。私たちがしなければならないのは、木のように、動かずに水の流れるほとりにとどまり続けることです。主に信頼する者は、絶対に祝福を受けます!
主に信頼することができない思いや考えはどこからやって来るのでしょう。自分の心の奥深くにある主に信頼することを拒む自分の自我や弱さを主の元に持っていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
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