■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き16章25~26節

★真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。

■O:今日のコラム
使徒の働き15章の後半において、パウロは長年パートナーとして共に働いて来たバルナバと、宣教旅行に同行するマルコについて意見の食い違いにより、激しい言い争いとなり、結局決別してしまいました。パウロのように熱心に主を愛し、宣教に燃える器であっても自分の中にまだ取り扱われなければならないプライドが存在していたのです。

バルナバと決別して後の宣教旅行においてパウロは、多くの試練と苦難に直面します。その始まりがこの16章です。パウロは、彼らの宣教を邪魔する占い師の女から悪霊を追い出したところ、彼女の主人がパウロとシラスを捕えて役人たちに訴え、パウロとシラスは何度もむちで打たれて、手足を繋がれて牢獄に入れられることとなりました。

初代教会の教えを学ぶ中で、初代教会において試練や困難に遭う時には「自分を顧みて悔い改め、またそこから主が何かを語っておられることを知り、主を見上げる機会である。」という考え方があったことを知りました。

パウロとシラスは牢獄に入れられた時、「なぜこんな不当な目に遭わされなければならないのか。」と不満を言うこともできましたし、自分の痛みを嘆いて自己憐憫に陥ることもできました。また主に対して「あなたの為に福音宣教をしているのに何でこんな試練に遭わなければならないのですか。」と訴えることも出来ました。しかし、彼らはそうせず、牢獄の中で主を見上げて祈りと賛美を捧げたのです。

25節の初めには「真夜中ごろ」と記されていますが、別訳では「真夜中になるまで」と訳されています。つまり彼らは牢獄に入れられた時から、真夜中になるまでずっと祈りと賛美を続けていたのです。パウロとシラスは、最も痛く、苦しく、暗い牢獄の中を、主を見上げ、主を賛美する礼拝場へと変えてしまったのです。

その結果、獄舎の土台が揺れ動き、彼らを捕えていた鎖は解け落ち、彼らの前にある牢獄の戸が開かれました。全ての痛みや試練は、主イエスを見上げ、主イエスに信頼し、主イエスを褒め称える機会となり、暗やみの中においても主を礼拝する時、主ご自身がご自身の主権をもって、私たちを全ての囚われから自由にして下さるのです。

私たちは結果を求め、早く解決が与えられることにフォーカスをします。しかし、主は結果以上にその一つ一つのプロセスを見ておられ、試練や困難の中でもどのように主を求め、主に信頼し、主により頼んだか。ということを重要なこととして見ておられます。

祈りの答えがすぐに与えられなくても、自分の性質がすぐに変わらなくても、人生の扉がすぐに開かれなくても、状況がすぐに変わらなくても、牢獄に思えるそのような状況の中で主に信頼し、主を褒め称え、主を賛美する者となりたいと願います。そうするなら、主のタイミングで必ず扉は開かれ、調度良い時に、主が私たちを引き上げ、解決と解放を与えて下さることとなります。

試練の中でも慌てたり、解決を急いだりするのではなく、信仰の結果が与えられる以上に、そのプロセスを大切にし、一日一日をイエス様に信頼し、あらゆる瞬間に御霊により頼んで歩んでまいりましょう。その試練の道を通して与えられる最も偉大な報いはイエス様との深い親密さと信頼関係です。

■A:考えてみよう
以下の御言葉を朗読し、牢獄の様な状況の中においても静かに主を待ち、主に信頼する信仰を持つことを祈りましょう。

「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
主の救いを黙って待つのは良い。人が若い時に、くびきを負うのは良い。
それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。
自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。
主は、いつまでも見放してはおられない。
たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。」(哀歌3:25~32)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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