■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き9章18節

★するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、

■O:今日のコラム
使徒の働き9章にはサウロの改心が記されています。この9章は使徒の働きの重要な分岐点となり、これから後に、ユダヤ、サマリヤ、国々へと福音が爆発的に広がって行くこととなります。

ダマスコの途上、サウロは主イエスとの直接的な出会いを経験しました。その時、彼は「目は開いていても何も見えなかった。」(使徒9章8節参照)と聖書に記されています。これはこの時のサウロの霊的な状態を明確にあらわしています。

サウロは当時の最高の律法教師であったガマリエルの門下で学び、生まれながらのパリサイ人であり、律法の行いにおいては右に出る者がいないほど熱心で、その熱心さはユダヤ教においては異端とされていたナザレ派(クリスチャン)を激しく迫害した程でした。しかし、彼は自分では熱心に律法に従い、神に仕えていると思っていましたが、霊的には目が見えない状態だったのです。

しかし、ダマスコ途上で主イエスとの出会いの後、主の弟子アナニヤがサウロの元に遣わされ、彼に手を置き、聖霊に満たされるように祈った時、サウロの目からうろこのような物が落ち、彼の目は見えるようになりました。

この「目が見えるようになる。」ということは非常に重要な霊的資質です。イザヤ書6章9~10節の御言葉は、福音書の中で繰り返し引用され、また使徒の働きもこの御言葉が引用されて閉じます。それは「目があっても見ることが出来ず、耳があっても聞くことが出来ない。」という内容です。

私たちの信仰の目、霊的な目は、様々なことによってまどろみ、閉じて行きます。この世の思い煩い、罪と肉の思い、心配、悩み、恐れ、不信仰、律法主義、宗教的な思いなど…。私たちの信仰の目を閉ざす要素は数多く存在しています。

だからこそ、目が開かれたパウロが、毎日祈った祈りを私たちも自分の祈りとして、心の目が御霊によって日々開かれることを求めましょう。

エペソ1章17~19節でパウロが祈った祈りは、彼が教会の為に祈り続けた祈りです。この祈りを私たちは自分の告白として、霊的な目が開かれることを願って宣言しましょう。

■A:考えてみよう
以下の祈りを暗唱し、日々自分の祈りとして宣言しましょう。

「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ1:17~19)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー