■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き5章7~12節

★三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずに入って来た。ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です」と言った。
そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。入って来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。
そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。

■O:今日のコラム
この出来事をある神学者は、ペテロの失敗であると説明します。愛の無い牧会の態度であると。しかしこの出来事の後に起こったことは、教会が健全な状態になっていることがわかります。

初代教会は、神に対する大きな恐れ(フォベーオ)を持っていました。私たちも神に対する恐れと敬愛(言語的にはどちらも同じフォベーオ)をキチンと持つ必要があると思います。

まず、神に対する恐れが土台です。私たちは神に対する恐れを持つので、悪に走ることから守られる側面を持っています。

私は保育園で勤めている時に3歳の子どもを親がお迎えに来た時に、「あなたの優しいお母さんがお迎えに来ましたよ。」と声をかけると「保育園のどの先生よりもお母さんの方が恐い。」とその園児は答えていました。親は何が良くて何が悪いのか?を子どもに教える時、優しいだけでいることはできません。親が恐いので悪いことができないということで、子どもは滅びから守られる部分があるのです。

そして健全に子どもが成長していくとその恐れは敬愛へと変わっていきます。私たちがキリストの花嫁となっていく時に私たちが夫であるキリストに求められていることは、この敬愛です。妻に対して、夫を敬うことと夫に従うことが求められている、とエペソ書は教えてくれていますが、その文脈で、きよめられた花嫁なる栄光の教会が登場するのです。

私たちは地上にいる限り罪の性質がゼロになることはないので、神に対する恐れがなくなることはありません。しかし、敬愛する部分がどんどん大きくなっていくことは重要です。それは神に対する愛の成熟です。

この神に対する恐れと敬愛の両方を正しく握ることは、私たちにとって大切です。これは私たちにバランスをもたらします。私たちは神の友となり、キリストの花嫁となっていくのですが、馴れ馴れしくなり神を恐れる心を失ってしまうと罪に陥ってしまうことが起こるからです。悪を行いそうになる時にこの神に対する健全な恐れは私たちを滅びから守ります。

逆に恐怖から従うだけならば、私たちは奴隷の状態です。もちろん神のしもべなのですが、成長していくなら友であるしもべとなり、花嫁なるしもべへとなり、敬愛の心から従っていく者に成長していくはずです。

この(ギ)フォベーオ(恐れ、敬愛)(へ)ヤーラー(恐れ、敬愛)は、信仰の基礎的なものです。これが自分の中に健全に成長していくことを信じていますし、子どもや教会に対しても健全に成長していくことを願っています。

■A:考えてみよう
私は神に対する恐れを表現するときに良くひれ伏して礼拝を捧げます。そもそもヘブル語で礼拝と訳される語は、ひれ伏すという意味のシャハーです。これは礼拝の基礎的なものであると信じています。

朝一番にひれ伏して主に礼拝を捧げましょう。

■P:祈り
主よ。御前にひれ伏し、御名を恐れ、あなたを敬愛いたします。あなたを敬う心、愛する心がますます私の中に成熟していきますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー