■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二21章1節

★ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」

■O:今日のコラム
ダビデの時代に3年の飢饉がありました。その原因を神に伺うと、かつてサウルとその一族がギブオン人の血を流した罪のゆえであると、主は言われました。3年間の飢饉の原因がサウルの時代の罪にあったのです。

そこでダビデは、苦渋の選択を迫られました。しかしダビデは、常に主を見上げていました。

「彼はこう歌った。『主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。」(第2サムエル22:2~3)

私たちも、いかなる状況の中にいたとしても、絶えず主を見上げる者となろうではありませんか。

私たちは、目の前で起こっている事、耳で聞いている事にとらわれてしまい、全知全能の神、全てを支配される神の御声を聞いていないという事があります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第1テサロニケ5:16~18)

私たちは主にあって、このみ言葉を実践する者となりましょう。

イエス様は、私たちの罪の身代わりとなり、ご自分には罪が無いのに、私たちの罪のために死なれました。新約の時代を生きる私たちには、自分の血を流すことなく、キリストの血潮によって、赦されるのです。

しかし、このように赦されるためには、キリストのなされた御業を信じる信仰が必要です。私たちは、この方を見上げ、信じて、期待して、絶えず主を見上げて歩んでいこうではありませんか。私たちの生活の全ては主の御手にあるという事を覚えましょう。

■A:考えてみよう
たとえ今が辛く苦しい歩みであったとしても、その先にある主が用意されている恵みを期待して、主だけを見上げて主と共に歩んでいきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 てる 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー