■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二19章5~6節

★ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。
あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。

■O:今日のコラム
アブシャロムは死んで、この壮大な親子ゲンカに決着が着きました。しかしダビデの嘆きは命がけで戦ってきた者を落ち込ませるのに十分なものでした。

既に死んで遠い存在になってしまったアブシャロムに心を寄せて、身近な存在である自分の傘下の者たちを恥かしめるダビデにヨアブは、激しく警告しました。そしてダビデはその警告を受け入れました。箴言にこうあります。

「あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。」(箴言27:10)

イエス様は、あなたの隣人を愛しなさい、と言われましたが、隣人とは私たちの好きな人という意味ではありません。主が側に置いてくださった方々のことです。

今自分が置かれている場所の人々、今自分が関わっている人々を愛することは、重要です。それは主が主権をもって計らってくださっている計画の一部だからです。たとえそんな風に見えないし思えないと思ってもです。

「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」(エレミヤ29:7)

主はバビロンに引いて行かれるイスラエルの民に、バビロンのために祈れ、と命じられました。バビロンはユダ王国を滅ぼした侵略国です。もちろん主が語られればその場所から私たちは移動しますが、私たちのいる場所、関わる人々のために祈り、愛することは、隣人を愛することです。それが一見、敵のような存在であってもです。

■A:考えてみよう
主は私たちを祝福の基として召してくださいました。私たちが聞き従う者となるときに祝福を受け、その祝福をもって地を祝福できます。全ての主権は神にあるのであって自分にないことを認めましょう。

そして、身近な人々のためにとりなし祈り始めましょう。遠いイスラエルのために祈ることも大事ですが、まず近い存在を愛することが土台にあってこそです。

■P:祈り
あなたが私の側に置いてくださった一人ひとりを感謝いたします。そして愛します。その方々との関係が喜びに満ちたものになることを願っています。あなたの愛をもって愛することができることを感謝いたします。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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2 個のコメント


  1. 小林 保 より:

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