■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二4章9~10節

★すると、ダビデは、ベエロテ人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。かつて私に、『ご覧ください。サウルは死にました』と告げて、自分自身では、良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕らえて、ツィケラグで殺した。それが、その良い知らせの報いであった。

■O:今日のコラム
ダビデはヨナタンとの契約のゆえ、ヨナタンの子メフィボシェテに非常に良くしてやります。また、サウルやアブネル、イシュ・ボシェテ、サウル家の誰にも害を与えませんでした。

ところがある時、略奪隊の二人がイシュ・ボシェテを殺してしまう出来事が起きます。この二人は、以前のアマレク人と同じ勘違いをします。ダビデがイシュ・ボシェテと戦っているから、彼を殺せばダビデは喜んでくれるだろう、と思いました。しかし、ダビデの反応はその逆でした。この二人の略奪隊は殺され、イシュ・ボシェテは丁重に葬られました。

ダビデは今日の箇所において、主を「あらゆる苦難から救い出してくださった方」と言っていますが、彼はサウルによって苦しみを受けていました。けれども、サウルに手を下す者に厳罰を下しました。

苦しみさえ主が許され起こっていることであり、その苦しみから救い出してくださるのも主であるとダビデは知っていたのです。だからサウルやイシュ・ボシェテを殺そうなどとはダビデには考えられませんでした。

二人の略奪隊のうちにあったものは、「神ではなく人のことを思う心」でした。しかしダビデのうちにあったものは「神を恐れる心」「神様が立てた権威者を恐れる心」そして「正しい裁きを愛する心」でした。またダビデには、神様が見るように見る目がありました。

良かれと思って選んだ選択が、今日の2人の略奪隊のように、神様の的から外れ、神様の御心を損ない、裁きを受けるものだとしたら、なんと残念なことでしょうか。

「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」(マタイ16:23)

ダビデの姿は、王の王であるイエス様の統治を表しているように思います。正しい裁きが成されるところに真の平和がもたらされ、王国が確立されていきます。ダビデは神様の主権に完全に自分をゆだねましたが、それゆえに、そこには神様の統治と平和がありました。

主ただお一人だけが、正しく裁くことのできるお方であり、その裁きには平和があります。

■A:考えてみよう
再び戻って来られるイエス様を待ち望み、今という時に自分のうちにある「神ではなく人を思う心」また「人の目には良いことのように思えても神様の的から外れているところ」を取り扱っていただきましょう。今この地上で神様の正しい裁きを受けることができるのは、信じられないほどの神様の愛と憐れみであり、感謝なことです。

ただ感情によって後悔したり、自分で自分を裁くのではなく、御言葉の前に心を開き、神様の目で自分を見、的外れな部分を聖霊様に教えていただきましょう。今日も神様の恵みの御座、天の法廷に立ち、神様からの正しい裁きを受け、血潮による義を受け取りましょう。

王の王であるイエス様が、我がうちの心の王座に着かれるとき、正しいさばきによって本当の自由を私に与え、私を治め、人のすべての考えにまさる神の平安と喜びで、我がうちの王国、たましいの都市を満たしてくださることを感謝します。

そして何よりも、ダビデのように神様の心と一つとされたものへと日々造り変えていくことを感謝します。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あい 】

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