■S:今日の聖書の言葉
詩篇144篇1節
★ほむべきかな。わが岩である主。主は、戦いのために私の手を、いくさのために私の指を、鍛えられる。
■O:今日のコラム
今日の聖書個所を読んだ時に、士師記に書かれているみことばが思い浮かびました。
「カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。-これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである-すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。」(士師記3:1~5)
この箇所はヨシュア記からの流れで書かれています。
ヨシュアがカナンの地、約束の地に入って行き、占領して、各部族に割り当てた土地もありました。しかし、まだ征服していかなければならない土地、国民が残されていました。ヨシュアが死んだ後に、イスラエルの次の世代の者、戦いを知らない者たちに、主が残しておかれた国民があることが記されています。
「すなわち、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたとおり、必ず聖絶しなければならない。」(申命記20:17)
イスラエル人は、カナンの地に入って行き、これらの国民の間に住みました。主がこれらの者を残して置かれた目的は、「イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るため」だと書かれています。
これらの国民は、それぞれに、ある罪の性質を象徴すると以前聞いたことがあります。例えば、カナン人の意味を調べると「ねたみ」という意味があり、エブス人は、「高ぶり」という意味があります。約束の地に入ってもそのような住民が残されていたのは、私たちが戦わなければならない罪の性質があるということを表していると思います。
ヤコブが御使いと格闘して、もものつがいが打たれ、自分自身の本質が砕かれて、名前がイスラエルと変わったように、私たちも本当に罪の性質と格闘して、砕かれて本質が変えられる、みことばに従えない本質が砕かれる必要があります。
私たちの前に戦いがあるでしょうか?主のゆえに感謝しましょう。主は、戦いのために私の手を、いくさのために私の指を、鍛えられます。私たちの手に、指にみことばの剣をしっかり握り、みことばを宣言し続けましょう。主が私たちを鍛えてくださいます。
■A:考えてみよう
みことばの朗読に励んでいこう!また、あらゆる時にみことばを宣言していこう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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