■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き21章10~14節

★幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。
するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまった。

■O:今日のコラム
パウロは第三次伝道旅行の後、「御霊に縛られて」エルサレムへ向かいます。その道中、周囲から「御霊に示されて」エルサレムに上らぬようにと幾度も忠告を受けます。

ついには預言者アガボによって「パウロはエルサレムで縛られ、異邦人の手に渡される」との預言が語られます。アガボは以前、世界を襲う大飢饉を預言し、その通り成就した、という預言者です(使徒11:28)。これを聞いた周囲の兄姉は、どうあってもエルサレムには行かないようにとパウロを引き留めます。

この周囲の反応は、ある意味、当然ではないでしょうか?愛するパウロがそんな目に遭うとわかっていて、止めようとする人々の心情は、至極当然であります。しかし、パウロの決心は変わりません。

では、実際、エルサレムでどうなったのでしょうか?

確かにパウロは鎖で手足を縛られ、ローマ兵によって担ぎ出されます。しかし、それはユダヤ人たちに殺されようとしていたところを「助け出される」という出来事でした(使徒 21:31~36)。私たちには計り知れない…それが主の御心です。

「何でこんなことが…」
「主に従って歩んできたはずなのに…」
「主よ、どうしてですか…」

私たちの人生で、思いもよらない苦難に見舞われるときがあります。失望、落胆…しかし、その時こそ、主に「しがみつく」ときであります。

私たちに理解できない出来事…しかし主の御心は私たちの思いをはるかに越えた、計り知れないものであります。失意のただ中で、「主よ、あなたは良いお方。ただあなたに信頼します」との私たちの揺るがぬ主への信仰は、必ずあの方の心を動かすことでありましょう。

パウロは主を愛し、主だけを見ていました。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(1ヨハネ4:18)

それゆえ、恐れることなく、人々の言葉に左右されませんでした。

「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」(箴言29:25)

私たちもパウロのごとく主だけを見上げて、主の御心に信頼して、進んでゆこうではありませんか。

■A:考えてみよう
私には理解しがたい出来事、苦難、失望…その苦難の日に、計り知れない主の御心に信頼するパウロのごとき信仰が、私にあるだろうか?

■P:祈り
主よ、私もパウロのように、どんなときにも、あなたの御心に信頼して進んでゆきたいのです。どうか力を与えて下さい。恵みを注いで下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 よしかず 】

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