■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書9章49~50節
★すべては、火によって、塩けをつけられるのです。塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。
■O:今日のコラム
塩は、私たちの体にとって必要不可欠なものです。また、料理の味付けにも欠かせません。聖書でも、塩は欠かすことが出来ないものであることがわかります。
「あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。」(レビ記2:13)
イエス様は、山上の垂訓で「あなたがたは、地の塩です。」(マタイ5:13参照)と言われました。ゆえに、私たちが塩としての役割を果たす必要があることを覚えます。
そのためには、今日の箇所にあるように、自分自身のうちに塩けを保たなければなりません。そして、塩けを保つためには「すべては、火によって、塩けをつけられるのです」とあるように、火を通らなければならないのです。
火は聖霊様をあらわします。陶器が、最後に火を通って完成されるように、私たち自身も完成へと、本来あるべき姿へと導かれるために、聖霊の火を通ることを覚えます。私たちは、聖霊様の外なる働き、賜物、現象を見やすい性質があるかもしれません。しかし、聖霊様はいつも私たちの内なる人に働きかけておられるのです。
「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:8)
「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」(第1ペテロ1:7)
私たちは、試練や困難を通ります。それは、聖霊様にゆだねることを味わうためです。私自身もそうですが、痛みを伴い、忍耐を学び、涙を流し、葛藤の中を通ります。しかし、私たちが、本当の意味で地の塩となるためには、自分自身を捨てて、聖霊様に完全に明け渡し、すべてを主に捧げることが必要です。塩気がなかったら何の役にも立たないと書かれているように、聖霊様によらなければ、私たちは何も出来ないものです。
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。」(詩篇139:7)
先日、パキスタンから来た牧師先生のメッセージを聞きながら、私自身、再献身の思いを日々新たに、主にすべてを捧げたいと思わされています。
私たちが地の塩として、塩けを保つなら、流産が多い土地の水の源にエリシャが塩を投げ込んだ時、その水は良くなり、死も流産も起こらなくなったように(第2列王記2:19~22参照)、この町、この国、日本の霊的な死も流産もなくなり、いのちを生み出すようになると信じます!
■A:考えてみよう
私は地の塩となっているだろうか。塩けを保っているだろうか。
私自身が、家族の中で、学校の中で、職場の中で、この町の中で、この国の中で、地の塩となることが出来ますように!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ささまな 】
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