■S:今日の聖書の言葉
詩篇126篇5~6節
★涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
■O:今日のコラム
聖書には、多くの種蒔きのたとえが出てきます。共通して言えるのは、蒔いたら刈り取ります。それは良いものであっても、悪いものでもです。
私はクリスチャンになって11年の間、継続して蒔き続けてきたものがあります。それは、自分の家族に福音の種を蒔き続けてきました。文字通り「時が良くても悪くても」帰省した時や、電話、手紙、プレゼント、旅行に連れて行ったりと、あらゆる時にあらゆる手段で伝え続けました。
時には失敗し、「それでもクリスチャンか!?」と怒鳴られたり、「もう聞きたくない!二度と話すな!」と言われ、落ち込み泣いた日のことを思い出します。
反対や批判を受けることも多くありましたが、自分にやってくる恐れ以上に、家族の永遠がかかっていることを覚える時、決して救いをあきらめられませんでした。そして何よりも、主が私の家族をあきらめていないのに、私があきらめてはいけない!と奮い立ちました。
そして、今年の1月帰省した時、頑なにイエス様を拒み馬鹿にしてきた祖母が、イエス様を救い主として受け入れました。決して、救いに導く雰囲気ではなかったのですが、後で伝えなかった後悔と、失敗して後悔するのだったら、伝えない後悔の方が嫌だ!と思い、「時が良くても悪くても」伝えました。すると、あまりにもすんなりイエス様を信じ受け入れました。
私はクリスチャンになってから11年の間に、3人の祖父母を天国へと見送りました。本当に愛しているおじいちゃんとおばあちゃんを失った寂しさは今でもありますが、天国にいると思うと慰められます。そしてもう一人の祖母が、今年イエス様を受け入れ、
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」
御言葉の真実さを体験します。
そして、もう一つのことを11年間やり続けたことがあります。それは、御言葉を握って、家族の救いを祈り続けることです。(今は血潮の宣言も加わりました。)
「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った。」(使徒16:31)
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」(第1ヨハネ5:14~15)
「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。』」(マタイ16:19)
目に見える状況以上に力ある主の御言葉は状況を越えて、必ず状況の方が御言葉に従ってくることを信じます。主は真実なお方です!
時が良くても悪くても私たちは、主が蒔く種を備えて下さっていますから、蒔き続けましょう!種を成長させてくれるのは主です。全ての栄光が主だけにありますように!
■A:考えてみよう
・家族に福音を伝えているだろうか?
・御言葉の約束を握って祈っているだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 おりえ 】
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