■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二10章9~12節
★ヨアブは、彼の前とうしろに戦いの前面があるのを見て、イスラエルの精鋭全員からさらに兵を選び、アラムに立ち向かう陣ぞなえをし、 民の残りの者は彼の兄弟アブシャイの手に託して、アモン人に立ち向かう陣ぞなえをした。
ヨアブは言った。「もし、アラムが私より強ければ、おまえが私を救ってくれ。もし、アモン人がおまえより強かったら、私がおまえを救いに行こう。
強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる。」
■O:今日のコラム
イスラエル軍はアモン人とアラムの連合軍に前後から挟み撃ちに遭います。この絶体絶命の窮地にあって軍の長ヨアブは、【1】このとき為しうる最善の準備をし、【2】「主はみこころにかなうことをされる」と主に信頼し、【3】全軍を鼓舞して全力を尽くしました。
結果はどうなったでしょうか?
まず、精鋭中の精鋭、ヨアブ軍が近づくとアラムは恐れて逃げ出し、アラムが逃げるのを見たアモン人もアブシャイ軍から逃げ出し、イスラエルの勝利に終わります。この一連の戦いは私たちに大きな教訓を与えてくれます。
私たちは困難な状況に陥ると、狼狽したり、右往左往するばかりで、実際的な手を打つことができずに無為無策ということがあるのではないでしょうか?けれども、困難に際し私たちは、まず為しうる最善の手を打つべきであります。
そして、ひたすら主に信頼しましょう。主は良いお方であり、必ず主の最善の御心がなされます。その上で勇気を出して全力を尽くしましょう!そのとき必ず勝利できると信じます。
ひとつ証しをさせて下さい。
昨年のクリスマス、私は礼拝説教のご奉仕でした。3ヶ月前に奉仕を依頼されたとき、その日の聖書箇所から「マリヤの従順」というテーマが思い浮かびました。そこで私は受胎告知に関する資料を調べたり、映画「マリヤ」を観たり、自分なりに一生懸命準備していました。
ところが4日後に礼拝を控えた水曜日、主任牧師先生から一通のメールが届きました。「クリスマス特別礼拝を通して新しい人々がイエス様の誕生の意義を知り、救われる機会として神様が兄弟に油注いで、用いて下さることを信じます。」私の鼓動は高鳴りました。「どうしよう…」私が準備していた内容と、求められているものが異なっていることは明らかでした。しかも私は「従順に従う信仰」について語ろうとしていたのです。
「主よ、わかりました。従います…」と観念し、新来者向けの伝道メッセージに取り組もうとするのですが、そもそもクリスチャンホーム育ちの私は、未信者の方が共感できるような救いの証しがありません。まして牧師でもない私に、一体何が語れるというのでしょうか…。時間ばかりが過ぎてゆき、何を語ったらよいのか、まったくわからなくなってしまいました。
前々日、金曜日の夜、礼拝堂の床に頭をすりつけて、身もだえしながら祈るのですが、いっこうに考えはまとまりません。脳裏には、ご家族の救いを長いあいだ祈ってきて、やっとの思いでクリスマスに来会された未信者の方々の姿が思い浮かびました。「私には到底できない。」私は完全に恐れに打ちのめされてしまいました。
そのときでした。礼拝堂を別の牧師先生が通りかかりました。私は思わず走り寄って、「先生、私のために祈って下さい!」とお願いしました。先生は私の切迫した様子に、「どうしました!?」と驚かれたようでしたが、私が「明後日の礼拝で説教奉仕なのですが、何も語ることが浮かばないのです」と涙顔で申し上げると、牧師先生は言下に「それは素晴らしい!」と言われました。
私は何のことかわからず、ポカンとしていると、先生は続けて「人の力の及ばない限界から主が働かれます」とおっしゃいました。そして、「主よ、この器を通して、あなたがお語り下さい」とだけシンプルに祈って下さいました。その夜、不思議にも語るべきメッセージが与えられたのです。そして私はベストを尽くすことができました。ただただ主の恵みです。
後日、この日の礼拝を通して未信者の方がイエス様を受け入れたとの報告を聞きました。
ハレルヤ!主に栄光。主に感謝します。
■A:考えてみよう
あらゆる困難に際し、私は主に信頼し、全力を尽くしているだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 よしかず 】
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