■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書3章24~25節

★もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。

■O:今日のコラム
神の国も神の家も、争いがあったら力強く建て上がりません。私たちはどのように争いを避けるべきか?を学ぶ必要があります。

ときには、足りない者同士であるがゆえに起きる争いがあります。そのときにはどうしたら良いのでしょうか?自分が悔い改めることが、人の非を責めるより先になくてはなりません。「自分のここが悪かった。」と認めるときに「あなたのここも良くないと思う」という言葉が相手に届くようになるからです。自分の目の梁をとるなら、人の目のちりを取れるのです。

ときには、神に従って行ったのに、ありもしないことで非難を受けることが起きます。その時には喜び踊りながら、苦しむときです。その時には、一度説明したら後は黙るのです。よく感情的な争いの中で人は同じことを繰り返して主張し、どんどんエキサイトしていきますが、それは良くありません。

「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる。」(箴言17:9)

こんな時は、イエス様を模範とし、黙ることが重要です。

「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。」(詩篇39:1)

どちらにしても私たちが、主からの良いものを受け取ろうと思うなら、下から攻めるのです。

イサクがペリシテの地にいる時に、井戸を掘りますが、それをペリシテ人に埋められます。また掘り当てますがまた埋められます。この井戸の名は「エセク」(争い)と「シテナ」(敵意)です。イサクの争いと敵意に対する対処は、力には力、悪には悪で報いることではなく、新しい井戸を掘ることでした。これはへりくだって進むことなのです。こうしてレホボテ(広い所)という井戸を得る勝利に預かりました。

ダビデもエルサレムを勝ち取るためにしたことは、地下水道から攻め入ることだったのです。私たちが神の国、永遠の相続を勝ち取るためにとるルートは下から攻めるなのです。

イエス様こそ勝利のために、私たちを勝ち取るために、もっとも低いよみにまで下られるルートを取られました。

■A:考えてみよう
上から高圧的に勝ち取りたいという考え方を捨て、下から勝ち取るルートを選ぶ。悪に対して善を報いて勝利する勝ち方を学ぶ。

■P:祈り
主よ。あなたが私の道です。私が上から勝利したいと思うとき、私に気づきを与え、私が下から進むことができるようにさせてください。あなたが得させてくださる勝利に感謝いたします。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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