■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書1章40~42節

★さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまづいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。

■O:今日のコラム
シャバットシャローム!主の豊かな安息がありますように。

イエス様がもうすぐ帰ってくる!!という終わりの時代に生きる私たちは、きよくなることがとても大切であることを知っています。きよくなることがどうして大切なのか御言葉は何回も語っているので、それが主が願っていることだとも分かるでしょう。しかし、私たちは頭で理解していても、到底自分自身ではきよくなることはできません。できないのが当たり前なのです。だからこそ、頼るものは、イエス様の血潮と水の洗いをもって、きよめていただく必要があります。

しかし、私たちはなぜそれが必要なのか、もう一度知っていく必要があるのではないかと思います。私たちの動機というものが間違ったところにあるのであれば長くは続かないでしょうし、または外側だけきよく見せようとすることはいくらでもできるので、イエス様が嫌うパリサイ人になってしまう可能性があるのです。

旧約の時代ではツァラアトに冒されている人たちには、民と共に住むことが許されておらず、隔離されて生きていました。それほどの病であり、また汚れたもの、感染してしまうものであったということがわかります。モーセの兄弟ミリアムもツァラアトに冒された時、宿営の外で過ごさねばならぬほど、地位のある人、大人子どもを問わず必ず隔離されていました。

そんな酷い病に冒されていた一人の人がイエス様の元にきて願ったのです。どれほどの思いで癒されたい!きよめられたい!と願ったことでしょう。きよくなれば、また家族に会え、仕事をして、希望ある将来が見えるのです。

旧約時代、またイエス様の時代には、「ツァラアト」というきよくない状態が目に見えてわかっていたので人々からは隔離されていました。しかし、新訳、または新しい契約に結ばれている私たちは内側にあるものでさえも問われます。

内にあるツァラアトはある意味目に見えません。目に見えないので、一部分あるきよくないものが体中を冒していくことがありえるのです。そして、知らずに霊においても死んでいく…こんなことがあってはなりません。

まずは、私たちの中に隠れたツァラアトがあるということを認識して、イエス様の元に行く必要があります。イエス様の元に必死で「お心一つで、きよくしていただけます。」と言った人のように、主だけが、きよくしてくださるということを認めていくことが必要です。いのちを保つためです。そして、もう一つ、イエス様が彼に言われてきよくされた一言に、心を留める必要があります。

「わたしの心だ。きよくなれ。」

なんと力強く、愛に満ちていることばでしょうか。イエス様から言われたこの人は、完全にきよくなりました。この人は、内側にイエス様の心をいただいたからです。

イエス様が私たちに願っていることは、イエス様と同じ心を持って欲しいということです。ただ癒されることが目的であるのではなく、「わたしが聖いから、花嫁であるあなたもわたしと同じようになってほしい。」というイエス様の愛の招待なのです。なんと素晴らしいことなのでしょうか。この偉大な心に預かれる者は!!

「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:26~27)

■A:考えてみよう
イエス様の心が私の心になることが喜びとなっているでしょうか。

内側の汚れ、見えないところの傷やしみがきよめられるために主の元に素直に進み行くことができる恵みを覚えましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あはごん 】

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