■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一27章7節

★ダビデがペリシテ人の地に住んだ日数は一年四か月であった。

■O:今日のコラム
ハレルヤ!どんなに不利な状況にあったとしても、主を主として今日も歩んでいきましょう!

今日の箇所は、ダビデがサウロに追われ続け、もうこれ以上イスラエルの中にいたらサウルは必ず追いかけてくるので、敵地であるペリシテ人の地へ逃れることを決めた場面です。

この選択について、多くの聖書学者たちはダビデが間違った選択をしたと解釈しています。主に伺うことをせず、サウルに追われる経験から、主が守ってくださるという信仰が弱まったのか、これ以上、イスラエルの地にとどまることができないから、安全なところへ逃げようと自分で判断した選択だったと。その結果、嘘をついたり、また後の章では、自分たちの財産、家族が奪われるということが起こりました。

確かに、この選択は主に伺わなかったので、ダビデの肉的弱さから来た選択だったかもしれません。しかし、この時のダビデを皆さん考えてみてください。自分の国であるイスラエルの中では、サウルから追われ、それから逃げる方法は唯一、イスラエルをいつも攻撃してくる、自分の敵とでも言えるペリシテ人の地に行くことでした。荒野ならともかく、敵地まで行かなければ生き延びれない。ダビデには、それくらいの選択肢しか残っていませんでした。

敵地で生き延びていくことも、毎日が危険です。何か少しでも敵が怪しいと思うことをしたら、すぐに追われて殺されてしまいます。なにせ、敵であるペリシテ人にとってダビデも敵ですし、ダビデが戦いの勇士であることも知られていたことですから、かなり警戒されていたことでしょう。

今日のみことばの続き、8~12節を読むとダビデの必死さが分かると思います。ペリシテ人の王であるアキシュに好意を持ってもらうため、彼は分捕りものをイスラエルからではなく、他の地域から奪い、それをアキシュの前に持って行き、イスラエルを襲ってきたと言っていました。もしアキシュに気がつかれたら一瞬で首をはねられていたことでしょう。

そんな、気を抜くことが一切許されない環境でダビデは一年四ヶ月間過ごしました。皆さん、この緊迫感の中で一年四ヶ月過ごすことを想像できるでしょうか。みなさんだったら、どのように過ごすでしょうか。

確かにその時期、ダビデが行ったことはすべて主の目にかなっていたかというと、そうではないと思います。しかし、主は彼を見捨てることをせず、逆に彼を守りました。なぜでしょう。それは、彼が不信仰であっても、間違いを犯したとしても、彼の心はいつも主に向いていたからです。

この後の章、28章に出てくるサウルの話は、ダビデと対照的です。主を尋ね求めに行ったサウルに対して、主は答えもせず、彼を離れてしまいました。それは、サウルの心は主に向くのではなく、いつも自分や人々や環境に向いていたからです。

■A:考えてみよう
今日の箇所のように、ダビデも周りの環境や人々に動揺して愚かな選択をすることがありました。しかし、彼の勝利は、不利な状況に入ってしまっても、もう一度、主に立ち返り、主に心を向けることでした。

私たちもこの人生の中で主を第一にせず失敗したり、選択を間違えたり、愚かな行動をして、自分を不利な状況に置いてしまうことがあります。しかし、その時は、サウルのように心をかたくなにするのではなく、ダビデのように、毎回毎回主のみもとで悔い改め、立ち返り、もう一度、主と歩もうではありませんか。

私たちが主に心を向けるとき、主は決して私たちを見放さず見捨てることはありません。そして、ダビデが経験したように、主が助け主となってくださいます。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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