■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一25章6~8節(一部抜粋)
★わが同胞に、こうあいさつしなさい。『あなたに平安がありますように。あなたの家に平安がありますように。また、あなたのすべてのものに平安がありますように。
私は今、羊の毛を刈る者たちが、あなたのところにいるのを聞きました。あなたの羊飼いたちは、私たちといっしょにいましたが、私たちは彼らに恥ずかしい思いをさせたことはありませんでした。彼らがカルメルにいる間中、何もなくなりませんでした。・・・ですから、この若者たちに親切にしてやってください。・・・どうか、このしもべたちと、あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。』」
■O:今日のコラム
今日も主のシャロームが豊かにありますように。
ダビデとナバルの出来事は、ダビデにとってイスラエルの王となるために必要な学びの機会であったと同じように、たとえほんの限られた領域であったとしても、自分の心や物事、人間関係等を王として治めるように召されている私たちにとっても不可欠な学びの機会・訓練であることを感謝します。
今日の箇所にて、「善に代えて悪を返してはならない」「復讐は神のなさることである」「人の罪を自分の罪としてとりなし悔い改める」等々、たくさんの教訓を主が与えてくださっていますが、今日はその内の一つ「報酬や見返りを求めることについて」を考えていきたいと思います。
ダビデはナバルの羊飼いを守り良くしてやったことについての報酬を求めました。これは25章10節によると、おそらくナバルから頼まれたものではなく、善意の奉仕としてダビデがやってあげたという側面が強いと思われます。
全て仕事と呼ばれるものには対価が伴いますが、ご存知の通り、働きに対する報酬を受けることの正当性について異論の余地はありません。
「聖書に『穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない』・・・と言われているからです。」(第1テモテ5:18)
また、イエス様も、
「働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。」(ルカ10:7)
と語っておられます。では、今回のように、親切心やあわれみ、良心による人々への奉仕や善意の施しをする場合、またそれをした後、聖徒はどのように振る舞うことがふさわしいのでしょうか。
「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:1~4)
また、以下のアブラハムのようは回答は潔く、知恵のある心構えだと感じます。
「糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。 ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」(創世記14:23~24)
ダビデは、ナバルが自分への恩を返すべきであり、私には正当な権利があるという思いにある意味で固執していました。600人もの人々を抱え、彼らを養い導かなければならないという責任感もあったのかもしれませんが、神の領域である復讐を自分の手で企て罪を犯す寸前になってしまいました。
家庭や教会、共同体での諸奉仕等についても、私たちは時々、人からの「良い評価」や「感謝されたい」という見返りを求めてしまったり、それを受けることが当然であると感じることがあるかもしれません。もちろん、私たちは互いにいつも感謝を表すことが大切です。しかし、いつも求めている通りのものを受けられるとは限らないということが往々にしてあるものです。
そのようなとき、私たちの内側の反応がナバルに対するダビデのような怒りや復讐心ではなく、私たちの受ける最も素晴らしい報いは主ご自身であることを思い起こして、感謝をささげたいと思います。
善であれ悪であれ全ての隠れた行いはいずれ明らかになり、返すことのできない者に施したことは神様に貸したこととなり、神様を愛し尊敬するゆえに行った一つ一つの行いがキリストの花嫁の輝くきよい衣となることが約束されているからです。
今日も、喜んで仕える霊であられる主の御霊を今日も受取り、天の報い、主ご自身を見上げて歩めるように祈りましょう。
「主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなた、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。」(詩篇16:5)
■A:考えてみよう
・善に対して悪を返されるようなとき、どのように対処するべきだろうか。
・私たちの本当の報いとは何だろうか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ぺい 】
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