■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一 15章13〜16節(サムエル記第一16章)

サムエルがサウルのところに行くと、サウルは彼に言った。「主の祝福がありますように。私は主のことばを守りました。」
しかしサムエルは言った。「では、私の耳に入るあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」
サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」

■O:今日のコラム

「今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。」(第一サムエル15:3)

というのが、サウル王への神からの命令でした。
けれども、サウルは敵アマレクのすべてのものを殺してしまうことを惜しみ、生かしておきました。そして、今日の箇所のように

「神様に、いけにえとして捧げるためです。」

と、神に答えました。

「するとサムエルは言った。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」(第一サムエル15:22,23)

有名なみことばです。ここ数年、「神に従わないことが、偶像礼拝の罪である」ということを知るために、礼拝の中で何度も語られてきた聖句です。

もちろん、ここには神に対する不従順の罪、すなわち偶像礼拝の罪が存在します。
それと、この出来事の中にはもう一つ、私たちが今日、注目すべきことがあります。

それは、「人の善悪と神の善悪は違う」ということです。

神に良いものを捧げるために、良い家畜を生かしておいた、という理由。一見、サウルの動機は良いもののように見えます。以前は「なぜ、主は大目に見てくださらなかったのだろう。」と思うことさえありました。けれども、サウルが「善」と思ったことは、神の「善」とは違ったのです。同じように、私たちが善と思うことが、必ずしも神の御目に善であるとは限らないのです。

もちろん、神が聖書の中で語っておられることに、従順になることこそが善であります。けれども、私たちの生活のすべての選択も常に「これが、果たして神の御目に『善』と映るものかどうか」ということを吟味する必要があります。

例えばですが、「神様により多く献金するために、たくさん働いてたくさん稼ごう」という動機は素晴らしいものです。けれども、もし、より多く稼ぐために、礼拝を守ることは後回しにしよう、という場合は、どうでしょうか?

これは、わかり易い例えですが、この他にも、一見、良い動機のように見えるものが、立ち止まってみことばに照らし合わせ、祈りの中で御心にかなっているかどうかを探る時に、実は神の善から外れてしまっていることがあります。

ですから、私たちは常に「これは果たして神の善なのか、私が善と思っているだけなのか」ということを探る必要があります。人の善には、人の欲が隠れている場合があります。サウルがそうでした。「神様に良いものを捧げるため」という美しい理由の裏には、「良い家畜を聖絶してしまうのは惜しい。もったいないから、とっておきたい。」という欲が隠れていました。

自分自身が「これこそが善だ」とかかげるものの裏に、自分の欲が隠れていないかを探る必要があります。そうする時に、目的は神の御心にかなっていたとしても、自分の方法を改めなくてはならない、ということに気付かされたり、動機は良いものであったとしても、自分の態度を改めなくてはならないということに気付かされたりすることもあるでしょう。

「これこそ、良い行いだ!」「私は正しいことをしている!」と突き進んで、実は神様の御心をそこなってしまっていた、と後で知るのは悲しいことです。
サウルはそのことのゆえに、王位から、しりぞけられてしまいました。

私たちは、神の善悪と人の善悪とは違うということをはっきりと認識し、自分の善悪によって行動するのではなく、みことばにより、御霊によって神の御心を知り、常に神の善悪に基づいて歩む者となることを願います。

■A:考えてみよう
今、私がやっていること、目標としている事柄は、神の御心を喜ばせているだろうか?今、自分が抱いている心の態度は神の善悪にかなっているだろうか?

■P:祈り
主よ、私の歩みの中で、あなたの御心にかなっていない部分を教えてください。「神のため」と決めつけていることが、本当は、自分のためでないか、私の心を探って下さい。私の動機に、私の欲が潜んでいないか教えてください。
あなたに喜んで頂くために、何があなたの御心を喜ばせることが出来るのかを知るために、もっとみことばを悟らせて下さい。自分の思い込んでいる善悪を捨てて、あなたの善悪によって物事を判断する霊的洞察を私に与えて下さい。
右にも左にも逸れることなく、神の御心の真ん中を歩ませて下さい。御霊を今日も慕い求めます。聖霊様を私のうちに歓迎します。人間的善悪を締め出すことができるために、主よ、あなたが私の内に満ち満ちてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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