■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一3章10節
★そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。
■O:今日のコラム
2019年が始まりました。今年も一日一日を主と共に歩んでまいりましょう。主を愛し、御言葉を飢え渇いて求める皆様の上に豊かな主の啓示が開かれる一年となりますように。
「従う」ということは自然に出来るものではありません。訓練を受ける必要があります。
私は子どもの頃、大きな犬を飼っていました。飼い主の横に寄り添い、賢く歩く犬に憧れて子犬から育てました。愛情を注いで可愛がり、散歩にもよく連れて行きましたが、しかし、訓練をしなかったので奔放な犬に育ちました。成犬になった時、散歩に連れて行こうとすると、よく逃走しました。なんとか捕まえて散歩に行くと、私が行こうとする方向とは逆に無理矢理に行こうとするので、私は犬を叩き、犬も私に立ち向かって来て、本気で犬と喧嘩をしました。飼い主には決して従いたくない犬でした。
私たちの、生まれながらの肉の性質は犬と同じようなものです。絶えず創造主に逆らい、主が導かれる道と逆に向かって行こうとし、自分の願う方向に進めないと、主に吠え、噛み付こうとするのです。
この犬のような肉の性質を持った私たちが主に従い従順な者となるためには、御霊の手綱を首につけ、御言葉のむちと杖で主の愛情によって戒められ、訓練を受ける必要があります。しかもそれは一日で出来るものでは無く、時間をかけて一歩一歩訓練され、私たちの内にある不従順とかたくなさが、柔和で従順な品性へと変えられていくのです。
サムエルは幼い時から主の宮でその訓練を受けていたことが分かります。それは呼ばれたらすぐに「はい。」と答えることでした。我が家においても子育てにおいてこの訓練を行います。親が何かを言った時に「何で?」とか「後で」と答えるのではなく「はい」とすぐに答えることが出来るようにチャレンジします。しかし、いつもすぐに出来るわけではないので、愛と忍耐をもって繰り返し教え、今も訓練の途上にあります。
これは信仰の歩みにおける非常に重要な訓練です。なぜなら目に見える権威者、親や牧師や教師や上司、自分の上に立てられた人々に従うことが出来ないのに、目に見えない主に従うことなど出来ないからです。
サムエルは主の声を聞く以前から、自分の上に立てられた祭司エリの呼びかけに聞き従う訓練がされていました。この第一サムエル記3章の状況を少し考えてみてください。少年が真夜中の最も眠たい時間帯に呼ばれて「はい。ここにおります。」とすぐに起き上がり、エリの元に行くのが容易なことでしょうか。しかも、自分の寝台に帰って寝たら、また何度も繰り返し呼ばれて起こされ、その度また起き上がって従うのは決して簡単なことでは無いでしょう。
私なら「眠たくて起きたくない。何でこんな時間に呼ぶのだろう。私の睡眠を邪魔しないで欲しい。今は私の快適さを優先したい。」と思うでしょう。しかしサムエルはその真夜中に何度も起きて従ったのでした。その声は祭司エリではなく主の声であり、サムエルはこの後、神の預言者として大きく用いられ、暗黒時代のイスラエルをリバイバルへと導く器となりました。
そのような偉大な神の器を整える訓練は、日々の「はい」と答える、従順な歩みによるものでした。今日、私たちは主の語りかけに「はい」とすぐに従うことが出来るでしょうか。私たちに対して責任と権威を持つ人々に従うことが出来るでしょうか。
もちろん上に立つ立場の人であっても御言葉に反することを命じるなら従ってはいけません。また盲目的に従うことと、信仰の故に従順に歩むことには違いがあることも覚える必要があります。
従順は人の目には小さく見えますが、実はこれは主の目にとって偉大な霊的訓練なのです。この後のサムエル記からサウルとダビデを通して、従順と不従順の大きな違いを見ることが出来ます。従順の訓練を喜んで受ける信仰者になることをこの2019年も共に目指してまいりましょう。
■A:考えてみよう
以下の御言葉を黙想し、従順な性質を持つ者となることを願い、主に祈り求めましょう。
「『きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。』と言われているからです。」(ヘブル3:15)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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