■S:今日の聖書の言葉

コリント人への手紙 第二 8章5節(エゼキエル書42章)

★ そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。

■O:今日のコラム

マケドニヤの教会(ピリピなど)はエルサレム教会に対して献金をしました。この施しをパウロは、まず主に捧げたと言いました。人に対する施しは、まず神に捧げてから人に渡すものです。

そして分け与えたいならば、持てる物で十分に主に受け入れられます。私達は「これっぽちなら、上げなくていい。」とあきらめそうになりますが、良い結果は主が与えて下さいます。与えるものの多い少ないだけが全てではありません。

『もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです。』(コリント人への手紙 第二 8章12節)とあります。

2レプタを献金したやもめは、イエス様から、この者は誰よりも多く捧げた、と喜ばれました。

分け与え方にモデルがあるとすれば、『「多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった。」と書いてあるとおりです。』(コリント人への手紙 第二 8章15節)であると思います。

その不足している部分、領域を考えると私達には案外、捧げられる領域、分け与えられるものは、沢山あるように思います。

自分に分け与えるほど何かがあるかなぁ、と感じるかもしれませんが、自分より経済的に豊かでも、ある時間などが困窮している人はいるように思います。自分より時間を豊かに使っているけれど経済が困窮している人はいるように思います。

ある人は時間が欲しいと思っているかもしれません。ある人は経済が欲しいと思っているかもしれません。自分よりその人が困窮している領域が目に付くなら、分け与えるチャンスなのかもしれません。

持っているもので十分なのです。分け与える事を主が願っておられるのなら、「あの人は、時間はないけれど、お金があるからいいじゃないか」ではなく、主に捧げて分け与えるべき人がいるのかもしれません。

■A:考えてみよう

心当たりがありますか? もちろん語られた私にはあります。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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