■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録19章7〜8節

★私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。

■O:今日のコラム
黙示録19章は、私は個人的に最も愛している御言葉の箇所です。なぜならここに主イエスを慕い求める者たちの目指すべきゴールがあるからです。それは天の大祝宴会、小羊キリストと花嫁の婚姻です。

黙示録の啓示と福音書のイエス様の言葉、またパウロやペテロ、ヤコブ、ヨハネ、ユダの手紙を通しても、主を愛し慕い求め、主の御言葉に従い生きる者たちには永遠の報いがあることを知ることが出来ます。

恵みによる救いと、その恵みに応えて正しく生きることに対する報いには大きな違いがあります。恵みによる救いは、私たちはそこに何一つ付け加えることは出来ません。ただ主イエスが十字架で血を流し、贖いを完了して下さったことの故に、私たちはそのことを信じて受けるだけです。

しかし報いは、救われた私たちが主との共同作業によって得るものです。その歩みには時には忍耐が必要であり、主を愛するが故の苦難や試練も通過します。しかし、その行程一つ一つにおいて、主は恵みの中で御霊によって私たちが主の御言葉に従い通す為の力を与えて下さるのです。

天の婚姻において花嫁が着る衣は「光り輝く、きよい麻布の衣」です。別訳では「縫い目の細かい麻布」とも記されています。この縫い目の細かいきよい麻布は、「聖徒たちの正しい行い」だと説明がされています。つまり、私たちがこの地上で主を愛するが故におこなった全てのことが、衣に記されているのです。

ある牧師は幻の中で天国に行き、そこで白い衣を着ている聖徒を見ました。その衣の糸には「あの時の笑顔」と記されていたそうです。たとえこの地上では小さく思えることでも主は全て見ておられ、天の報いからもれることはありません。主を愛するが故に忍耐し、心に痛みを覚えながらも人を赦してとりなし祈ったこと、教会や家庭や置かれた場所で主を愛するが故に人々に仕えたこと、困っている人々に施しをしたこと、傷ついた人を励ましたこと、その他、主を愛し、御言葉に従い行ったこと全てに対して、永遠の報いが用意されています。

ここに記されている「聖徒たちの正しい行いである。」という言葉は別訳では「聖徒たちの主の御前での正しい身分に基づく行い。」と書かれています。つまり私たちが正しい行いをするのは律法的で宗教的な動機からではなく、「自分が主にあって何者であるかを知った」結果の行動なのです。

私たちは主イエスによって、神の子どもとされ、王であり祭司、聖なる花嫁とされています。その他にも数多くの私たちの身分とアイデンティティーが聖書の中に記されています。自分が主にあり何者であるかを知る時、人に見える部分だけではなく、誰も見ていない時間の行動、態度、振る舞い、選択が大きく変わっていきます。

婚姻の時、全てのベールが外され、私たちの前に立っておられるのは、「小羊なるキリスト」です。ここでユダの獅子でも、輝く王としての姿でもなく、小羊としてイエス様が立っておられる姿に涙が出ます。

全てをかけて私を愛し、命までも捧げて十字架にかかり、花嫁としての身分を回復して下さった、柔和でへりくだった真実な王、愛と恵みに満ちたお方、花婿なるイエス・キリスト。このお方と顔と顔を合わせるその時を夢見て、今日与えられた一日一日を歩んでまいりましょう。

■A:考えてみよう
今日という一日も永遠の報いを見つめ、主に任せられた使命を日々果すことが出来るように祈り求めましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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