■S:今日の聖書の言葉
詩篇119篇14節
★私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。
24節
★まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。
■O:今日のコラム
詩篇119篇を朗読すると、作者の御言葉に対する情熱がひしひしと伝わって来ます。この作者のように、私たちも御言葉を心から愛する飢え渇きが与えられる為にはどうしたら良いでしょうか?
14節と16節を見ますと、作者は御言葉を楽しみ、喜びとしていたことが分かります。本来、御言葉とはこのようなものなのです。しかしながら、罪により堕落してしまった人間は御言葉を楽しみ喜ぶことが出来ません。なぜならば、罪により御言葉に覆いが掛かってしまっているからです。
覆いが掛かっている状態とは具体的にどのようなことを言うのでしょうか?
それは、自分の力で御言葉の要求に応えようとすることです。しかし、人間が自分の力で御言葉の要求する姿に達することは不可能であることは明白です。神の御言葉に聞き従うことが出来ないならば裁かれます。この状態では絶えず裁きに対する恐れがやって来て御言葉を楽しみ喜ぶことが出来ないのです。これが御言葉に覆いが掛かった状態です。
覆いはどのようにして取り除かれるのでしょうか?それは聖霊の働きによって、イエスキリストの十字架の贖いを信じる信仰によって取り除かれます。
「しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。」(第二コリント3:14)
イエス様を信じる者は信仰によってこの覆いが取り除けられたのです。
御言葉を読むならば相変わらず御言葉を実行する事が出来ない自分の姿が浮き彫りになります。そのような時にイエス様の方に向いて悔い改める時にその罪は赦されるのです。そして、御霊により御言葉を実行する力をも与えてくださるのです。イエス様の十字架によって、御言葉を楽しみ喜ぶことが出来るようになったのです!ハレルヤ!
油断すると、自分の知識や力で御言葉に取り組もうとしてしまいます。そうするならば喜びは消えてしまいます。その都度、信仰をもってイエス様の十字架を通して御言葉に取り組む必要があります。
創世記から黙示録まで全ての御言葉が神様から私たちへの愛のメッセージです。覆いが取り除けられて神様の御心をストレートに受け取り、主の御心を行う人生を送っていきたいと思います。
本日も、一日皆様の上にイエス様の豊かな恵みと祝福がありますように。
■A:考えてみよう
御言葉に対する情熱、飢え渇きはありますか?この機会に自分自身の心の中を確認してみたいと思います。
もし、覆いが掛かっていると示された場合はイエス様の十字架の血潮によって悔い改めていきましょう。
■P:祈り
ハレルヤ!天のお父様。御名を褒め称えます。あなたの心を1冊の聖書に凝縮してくださったことを感謝します。どうか、この聖書の御言葉をもっと深く悟ることが出来るように助けてください。もっと神様の心が知りたいです。もっとあなたと一つになりたいです。御言葉を与えてくださった偉大な主を賛美します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あきひろ 】
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