■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録15章2節
★私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
■O:今日のコラム
ここを見ると主の御側にいる人々が出てきます。その者たちは世に打ち勝った者たちなのです。私たちは勝利者として召されているのです。しかし、勝利者として召された者が全員、勝利者となる訳ではありません。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」(マタイ22:14)
世に打ち勝つとは、世で成功することではありません。それは世を信仰によって生き抜くことです。信仰とは概念ではありません。信仰とは理論ではありません。それを含んでいますが、言語的に見ても分かるのですが信仰とは生き様なのです。
「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」(第一ヨハネ5:4)
義人とは信仰を理解しているものではありません。義人とは信仰によって生きる者なのです。主の力によって生まれた新しい自分は世に打ち勝って勝利することができます。そのことを信じて神を愛し、聞いた御言葉を実行するのです。いのちの御言葉、いのちの御霊によって生み出された新しい自分は、愛の情熱によって、これを行うことが重荷にはならないで喜びとなります。ハレルヤ!
実行できないならそれも喜んでください。主に明け渡すべき古い自分の性質が明らかになったということです。悔い改めて揺るがない霊が新しくされるなら、神によって新しく生まれた霊は古い世の性質に打ち勝つのです。
そうして私たちは、勝利者として神の御側に集められるのです。勝利を得てこそ報いがあります。もちろんイエス様を死んで3日目によみがえられた救い主と信じていれば義と認められます。しかし、報いは勝利を収めてこそあるのです。ただ信仰に入っただけでも素晴らしいですが、私たちが永遠という時間をどこで過ごすかは、本当に重要なことです。
一時的な住まいに対しても私たちはこだわりを持つでしょう。だとしたら永遠の住まいに関してはもっとこだわるべきです。
■A:考えてみよう
勝利者となる歩み、信仰によって生きる歩みをしましょう。聞いて、告白し、行い、心を尽くして神に信頼するのです。どんな小さなことでも構いません。主が報いてくださることを信じ、忠実を尽くすのです。
心において不信仰な思い(不安、恐れ、思い煩い、悪感情)が湧くことも主に委ねて、信仰を学ぶ材料にしましょう。
■P:祈り
主よ。私のうちに信仰によって生きるという道を備えられた方、あなたを褒め称えます。今日も私のたましいがあなたに信頼し平安の中に生きることができることを感謝いたします。またこの体をも信仰によって生かしてくださる主を褒め称えます。聞いたことを告白し忠実に行うなら、必ずあなたが報いてくださることを信じます。勝利はあなたにあります。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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