■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第二 4章18節(エゼキエル書38章)
★ 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
■O:今日のコラム
先日、断食中に父の誕生日を迎えてしまいました。家族みんながお祝い出来るようにということで、断食が終わったらケーキを買ってお祝いしようということになりました。
近所にちょっと知られたパティシエのお店があり、我が家では、家族の誰かの誕生日にはいつもそこでケーキを買っています。濃厚なクリーム、ふわふわで上品なスポンジはいつ食べても、にんまりします。
断食が辛いと思う瞬間でも、「あのケーキが食べられる」ということが一つの楽しみとなっていました。(もちろんケーキを遥かにまさる主の満たしがあることは、言わずもがなですが)
味わったことがあるものを、想像し、楽しみに待つことは容易ですが、味わったことが無いものを楽しみにするのは、期待もボヤけてしまって、なかなか難しいものです。
私は、何度も食べたことのあるケーキだからこそ、その上品な味を思い出し、想像し、楽しみにすることが出来ました。
今日の箇所は、リビングバイブル訳では「ですから私たちは、いま見えるもの、すなわち、身の回りの苦しみには目をとめません。むしろ、今は見えない天にある喜びを望み見ているのです。苦しみは、やがて消え去ります。しかし、その喜びは、永遠に続くのです。」 (コリント人への手紙 第二 4章18節) と書かれています。
『見えないもの』 とは 『天にある喜び』 のことであり、神様と顔と顔を合わせる親しい交わり、永遠に絶えることの無い喜び、愛…etc 書き尽せない、知り尽せないほどの喜びに溢れたことのすべてです。私たちは、まだ天国に行ったことはないので、それはぼんやりと想像することしか出来ません。
毎日、自分の目に見えているこの地上での事柄以上に、この「見えないもの」を見据えること、またそこに望みを置くことは時には難しいかも知れません。けれども、神様は御自分との親しい交わりの中で、個人的に主を愛し礼拝する中で、この「天にある喜び」の前味を味わあせて下さいます。
それを一度でも味わうなら、その味を思い出し、想像し、期待し楽しみにすることが、もっと楽になるでしょう。そして、味わえば、味わうほど、その「見えないもの」への期待感も増していきます。
今日も、主の御前に出て、その 「天にある喜び」 の前味を味わうことが出来るように、主ご自身を求める時間をとりましょう。そうすることで、私たちは、「いま見えるもの、すなわち、身の回りの苦しみ」ではなく、永遠に続く、天につながる喜びに目を留めることが出来るからです。アーメン
■A:考えてみよう
今日、自分が見ているものはなんだろうか。自分を取り巻く困難だろうか。天の喜びだろうか。
■P:祈り
愛する天のお父様、私の目が、いつも「見えないものにこそ目を留め」ることが出来るように、助けて下さい。そのために、あなたをもっと味わいたいです。あなたを切望する思いを私のうちに燃え立たせて下さい。あなたこそ、私のすべてだからです。
私の心の王座は主よ、あなたのものです。今日の一日も、あなたを想い続ける日となりますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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