■S:今日の聖書の言葉
詩篇112篇1節
★ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。
■O:今日のコラム
ハレルヤ!主を恐れ、主の仰せを喜ぶ者は幸いです!
幸いとはどういうことなのでしょうか。この世でいう幸せな人生を生きることなのでしょうか。災いに会うことなく、問題なく、裕福に生きていくことが幸いなのでしょうか。
今日の詩篇112篇を読み続けると幸いな者の歩みが描かれています。2、3節にあるように、確かにその人たちには繁栄や富が祝福として主が与えてくださっています。しかし、彼らはいつもそのような祝福の中を歩んでいるのでしょうか。
4節には、主が彼らのために光をやみの中に輝かすと書かれています。では、どういうことが言えるのでしょうか。彼らは光の中に初めからいたのでしょうか。もしそうであれば、主が与える光の役目がないですよね。彼らはやみの中を歩んでいたからこそ、主がそこに光を与え導かれました。
7節も同様に主を恐れ、主の仰せを喜ぶ幸いな者についてこう書かれています。「その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。」
彼らの人生に悪い知らせがなかったとは書かれていません。続けて8節後半には「自分の敵をものともしないまでになる。」とありますが、幸いな者の人生に敵がいないわけではありません。
では、幸いな者の人生とはどういうものなのでしょうか。
やみの中を歩みます。悪い知らせ、あります。敵、たくさんいるでしょう。普通なら落胆します。あきらめます。不平不満言います。しかし!幸いな者は、その中において、主を恐れ、主と主のみことばに信頼し、難しい状況においても、主の仰せを守り行っていくのです。それが幸いな者の歩みであり、いつでもどこでも主とともに歩む。それこそが幸せな人生なのです。
■A:考えてみよう
聖書で言う幸せ者は、この世で言う幸せ者とは異なります。みなさんにとって幸いな者とはどういう歩みなのでしょうか?皆さん自身は幸いな者として歩んでいるでしょうか?
この世において、聖書が言う幸いな者として歩んでいこうではありませんか。どんなに否定的な状況におかれたとしても、主を見上げ主と共に歩み続けていこうではありませんか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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