■S:今日の聖書の言葉
詩篇111篇1節

★ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

■O:今日のコラム
キリストにある信仰の生き方の中で最も素晴らしいことの一つは、「感謝する」ことだと思います。たとえ、そうすることが全く不条理に思え、愚かに感じるときでも、神様は私たちに感謝をささげるよう命じておられます。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16~18)

私が20代初めのころ、教会の先生から「讃美の力(マーリン・キャロザース著)」という本を読むように勧められました。そして一つのことを指導していただいたことを思い出します。それは「(自分にとってプラスであるかマイナスであるかに関わらず)どんな状況でもすべての事について感謝する」ことでした。

読み進めるうち、その当時自分がいかに問題ばかりを見つめ神様よりも大きくし、状況の変わらないことを嘆いていたか、不平を言うことがあたかも当然の権利であるかのように錯覚していたことに気づかされ、むしろ感謝すべきことに目を留めるべきだったことを悟らされたのです。

私は変わりたいと願い、指導に従って本当にどんなささいなことや、感謝には値しないようなこと、また自分の望むような結果でなくむしろ失望してもおかしくないような状況で感謝することを選択してみました。

初めは、「状況は何も変わらないのに、なぜ感謝しなければいけないのだろう」とばかばかしくさえ思うこともありました。しかし、感情や状況に左右されるのでなく、努めて感謝をささげることを続けるうちに、心に平安と言い知れぬ喜びがやって来るのを感じるようになったのです。

たとえ状況は変わっていなくとも、自分自身が主の似姿に変えられるときに、問題や欠乏に目を留めるのでなく、天にまで満ちている主の恵みに目が開かれることとなります。私たちの杯は主にあってあふれています。このお方を礼拝する喜びは誰にもどんな状況にも奪われてはなりません。

しかし、心掛けてはいても、めまぐるしい日常の歩みをする中で、感謝ではなくどうしても不平不満を言いたくなってしまうときがあるものです。

詩篇の作者は言います。「私は心を尽くして主に感謝しよう。」

今日、この告白が私たちの口に置かれますように。家庭において、勤務時間や通勤ルート、また学校生活で、すべての聖徒たち、神の家族の集いにおいて、あふれるばかりの感謝のいけにえが主にささげられますように。

■A:考えてみよう
・一年を振り返り、私たち一人ひとりに注がれた主の恵みあわれみ、導きの一つ一つを思い起こし、心を尽くして感謝する時を持ちましょう。

・祈り求め続けているけれども変わらない状況、満たされない必要、変わらない自分の古い性質等、感謝には相応しくないような事柄があるでしょうか。今日、そのことについて嘆きや不満に変えて努めて感謝することを選択してみましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ぺい 】

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