■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録5章4節

★巻き物を開くのにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。

■O:今日のコラム
私たちが信仰生活の中で流す涙の多くは、自分の悩みや葛藤、痛みや傷、試練や苦しみの故のものです。もちろん、それらの涙も主を愛するが故に流す時に価値あるものですが、今回黙示録5章を朗読する時、様々な自分の必要を超えて、ヨハネがここで流した涙を自分の涙としてみませんか。

ヨハネは黙示録の啓示を受けた時、教会は迫害を受けて破壊され、多くの信仰の仲間は殉教し、パトモスという島に流されている状況でした。彼も、現状を見て、嘆き悲しむのであれば、涙を流す理由は沢山ありました。しかし、彼がここで激しく泣いたのは、巻き物(主の御言葉の啓示)が開かれないことについてでした。

1節には、

「また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。」

と記されています。巻き物の文字は内側と外側に記されており、封印で封じられていたので内側の文字は見えない状態でした。私たちも御言葉を朗読する時、いつも外側の文字だけを眺めて終わってしまう場合があり、文字に思いがとらわれ、内側に記されている御霊の啓示と父なる神の心は封印された状態になってしまっています。

このことに対して、ヨハネが激しく泣いたように、私たちも切なる祈りをもって、御言葉の封印が解かれることを願い求めようではありませんか。そのヨハネの激しい願い求めに天の長老は答えを与えて言います。

「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」(5節)

そして8節以降「主イエスの血潮」について天で新しい歌が歌われます。御言葉の奥義、封印された啓示が開かれるのは「主イエスの血潮」と大きな関係があります。ヘブル人への手紙の記者は、律法の書から引用してこのように言っています。

「モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、『これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である』と言いました。」(ヘブル9:19~20)

今日御言葉を朗読する時、私たちの目と耳と心、また聖書自体にも「主イエスの血潮」を宣言して祈ろうでありませんか。そうする時、聖書がただ多く文字が記された書物ではなく、創世記から黙示録に至るまで、主イエスの血潮を通して私たちに与えられた契約の書となるのです。

主イエスの血潮と知恵と啓示の御霊により、心の覆いが取り除けられ、日々御言葉の啓示の封印が解かれて行きますように。

■A:考えてみよう
御言葉の啓示が開かれることを求めて、主イエスの血潮を宣言して祈り、御言葉の朗読をしてまいりましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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