■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第三2節

★愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

■O:今日のコラム
「たましいが幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得て、また健康であるように」と今日の御言葉にあるように、私たちのたましいに起こることは、私たちの体や身の回り起こることに影響していきます。

実際に87~95%の精神的、身体的な病気は心のからくるという科学者の研究結果があり、80%~90%の重症な病気は心の癒しを必要としているとも言われています。

私たちのたましいが癒され、きよめられることは重要なことであり、私たちのたましいがきよめられ続けて、私たちの思考、意思、感情や情熱が主と一つとなり、御霊によって制御され導かれるようになることが私たちの日々の願いであると思います。

たましいが幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得て健康であるようにとヨハネは愛するガイオに祈っていますが、「たましいが幸いを得る」ということはどういうことでしょうか?

聖書にはあらゆるところで、「幸いなことよ。」「幸いです。」「なんと幸いなことでしょう。」と幸いについて沢山のことが述べられていますが、幸いな者の状態は、心の貧しいこと(マタイ5:3)、心がきよいこと(マタイ5:8)、主に身を避けること(詩篇34:8)、主に信頼すること(詩篇84:12)、主に選ばれ近寄せられること(詩篇65:4)…etc と、真の幸いは、この世の考えの幸い(成功・名声・富を得ること、自分の夢や目標が叶うこと、状況的・物質的に人の目に良い状態であること)とは違います。

では、私たちの幸いとは何でしょうか?

「私は、主に申し上げました。『あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたの他にはありません。』」(詩篇16:2)

私たちの幸いは主ご自身であり、主以外に私たちの幸いはありません。

たましいに幸いを得るとは、イエス様を得ていくことです。主を得ること、主を知ること、主と出会い主を経験することです。そしてその結果、私たちのうちに主の方へと方向転換が起こり、たましいのあらゆる領域が主によって勝ち取られ、癒され、きよめられ、主によって統治され、主の似姿に心が変えられ、思いや感情、意思、情熱においても愛する主と一つとされていくのです。

もし私たちが本当に主だけを求めるなら、人生で得たいものが主を得ることだけとなっていくなら、あらゆる生活の心配や恐れ、悲しみや妬みなどの間違った感情もなくなり、肉の力で頑張ることもなくなり、私たちの歩みはシンプルになっていきます。

益々、日々私たちの求めるもの、この人生で得たいと願うものが、主だけにされていきますように!そして、私たちが主を得続け、すべての点ですべての歩みにおいても、どんなことをする時でも主を得ますように!

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)

上記の「認めよ」とは原語では「知る」という意味の言葉です。そしてこの「知る」という意味は「親密になる」という意味があります。私たちがどこにいても、何をしていても、主を知り、主との親密さに歩んでいくなら、主は私たちの道をまっすぐにされます。

言い換えれば、私たちは何をしていても、どこにいても、主を知り主との親密さの中を歩んでいくことができるのです。

教会で祈り礼拝している時も、家で一人でいるときも、仕事や家事のときも、道を歩いているときも、いつも主との交わりを持ち続け、日々の歩みすべての点において主を得ていくことができますように!日々の歩みのすべての点において主を知り、主との関係が親密にされていきますように!

「私の求めるものは主だけです!」「主が私の喜び、私の望み、私のすべてです」と私たちは祈り賛美し、告白して求めていると思いますが、頭では分かっていても、そう思っていても、そう願いたくても、心や感情がついていかないこともあると思います。私たちは皆、救いの達成に努めている最中であり、まだ勝ち取られていない心の領域があるからです。

しかし、私たちの罪の思い、肉の性質によって、心や感情がついていかない時であっても、私たちのうちにおられる主は何にも変えられない喜びであること、この世の何にも勝る私たちの喜び、幸いであることを覚えましょう。

数年以上も前、私は感情的に状況的にとても辛い中にあり、職場に行く前も主の前で涙をもって祈り、仕事に行く道の最中も涙が溢れ、主が私の助けであること、主が共にいてくださること、主が私の力であることを宣言しながら何とか仕事に行くという時期がありました。

自分にとっては感情的にはとても喜べない、悲しみと落ち込みの中にありましたが、なぜか職場の同僚、上司から「いつも喜んでるね。」「いつも喜び溢れてるね。」「その喜びこっちまで伝わる」といつものようによく言われていました。

その時、私の感情が喜べないだけであって、私の思いがついていかないだけであって、私のうちにおられる主は何にも変えられない喜びであること、この世の何も勝る喜び、幸いであることに気づかされ、まだ主を知らない人々は主を知らないだけであって、本来は主が唯一の救いで、主だけが本来一番の喜びであることを改めて知らされました。

そんなこの世の何にも勝る喜び、幸いである主が、今日もいつも私たちのうちに住まわれ、偉大な主が私たちと共におられ、いつも共に歩んでくださっています。ただただ主の恵み、選びによって、今私たちは私たちの幸いである主を知ることができていること、救いを得ていることを主に感謝しましょう。

そして、益々日々の歩みすべてにおいて主を知ることができますように、主を得ていくことが出来ますように、私たちの求めることが主ご自身でありますように、たましいに幸いである主を得ているようにすべての点で幸いである主を得て、霊、たましい、からだが完全に守られ健康でありますように、そして私たちを通して、私たちの周りの人々が唯一の救い、幸いであるイエス様を得ていくことができますように、心から願い祈ります。

■A:考えてみよう

「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」

この御言葉を自分自身に、自分の家族に、まだ救われていない自分の周りの人々に宣言して祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

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